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リレーコラムRelay column

リレーコラム

中国交流員:宇和島ハワイアンフェスティバルを通じて感じた繋がりの力

 

2024年6月1日、ハワイ大学からのインターン生二人、マシューさんとケイトリンさんと一緒に、宇和島市で開催されるハワイアンフェスティバルに参加しました。マシューさんとケイトリンさんは、ステージの上でハワイの曲を演奏したり、歌を歌ったりしました。とても可愛かったです!

その他、みかんと魚で有名な宇和島市の特色を満喫できるブースも楽しみました。宇和島産のフルーツがたっぷり入っているジャムが美味しく、また宇和島水産高校のブースで紹介していた魚類の標本も大変勉強になりました。さらに、大きい魚(アヒ:マグロ)の解体も初めて近い距離で見ることができました!宇和島水産高等学校のフィッシュガールの熟練した技にも、とても感心しました。

川之石高校生の書道パフォーマンスでは、大きな「繋がり」を書いていました。愛媛とハワイの強い繋がりから、国際交流員として、繋がりの大切さを改めて感じ、以下のコラムを書きました。

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緑のパンの木の葉っぱは波になり、ブルーで涼しいハワイオーシャンになる。そして、ウクレレのゆったりとハワイアンダンスのフラフラ。ハワイを愛する理由は、これだけでも十分。

宇和島は、島と言っても、島ではない。しかし、海に囲まれている日本は島の国で、四国もいうまでもなく島だ。こう見たら、愛媛とハワイは、瀬戸内海の島と太平洋の島。こんなに遠いのに、本当に繋がっているのでしょうか。

この瀬戸内海の島は、春うららの島。穏やかで温かい天候の恵みで、宇和島のみかんは甘い。まるでここの住民、温厚で平和。その裏切らない甘さには、瀬戸内海からのフレッシュを挟んでいる。これが柑橘王国、愛媛の味、甘くて清々しい。

あの太平洋の島は、かんかん夏の島。想像の中では、島の上にはパンの木が大きい。星の王子さまが木を管理しているみたいに、ハワイでも街中の大きな葉っぱを切る必要があるでしょう。熱帯の島ハワイでは、アップルバナナやパッションフルーツなどの熱烈な甘い香りが溢れていることでしょう。

春と夏、これは愛媛とハワイの距離。19時間の時差を渡り、漁船だとしたら片道でも30日。最初にハワイを発見した船、そしてクジラを追い掛けた漁船。島は船により発見されるものだ。それでも島と島、島と大陸は繋がった。遠くても、同じ海でなくても、地球という海の球にあるだけで、みんな繋がれるのだ。

繋がったとして、何ができるのだ、という質問をする人もいるだろう。人的な交流、経済的な交流、或いは、何のためでもなく、ただただ世界の全貌を知りたい。島で生きるのは安らかである。しかし、島(或いは1つの島)だけでは足りない。未知の世界、まだ繋がっていない世界があるのだとしたら、そこに行きたい。これはある探検家の名言、「そこに山があるからだ」。海のそばに生きる人、海を求める人は、この探検家の精神も同じく感じられることだろう。

中国には島もあるが、島の国とはいいがたい(もちろん宇宙船から見れば半島にもなれるが)。4000年の歴史を経った古い大陸の国である。土地が広く、物産も豊かで、自給自足の国とも言えるが、その誰かと繋がりたい気持ちは、古くから受け継がれている。2100年前、張騫(ちょうけん)という人は、西の未知と繋がるために、西域を目指し、ラクダに乗って砂漠を渡り、13年もかけて帰国の途に就いた。それ以来、シルクロードという、ユーラシア大陸に繋がる陸上の道を開いた。1400年前、玄奘(げんじょう)という僧侶は、そのシルクロードを通って、インドに仏教を勉強しに行った。それを基に、後の『西遊記』が作られた。そして、玄奘がインドから戻った100年後、鑑真(がんじん)は日本仏教界の招請に応じて、12年で5回の失敗を経て、薩摩の国(今の鹿児島)に漂着した。また、鑑真が奈良の唐招提寺で入寂した後、四国生まれの空海もまた唐の長安にて習い、今日のお遍路まで繋がっている。

島であっても、大陸であっても、古来より外との繋がりを大事にしてきた。そして今日に至って、交通がもっと便利になったが、その繋がりたい心持は、同じく増えたのだろうか。

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最後に、皆様にご紹介したいことがあります。2000年前からユーラシア大陸を繋いだシルクロードの文物は、一部が今、愛媛に来ています!44点の国宝級文物を含む、約200点の遺宝が、愛媛県美術館で開催されている「世界遺産 大シルクロード展」で展示されています。期間は2024年6月22日から9月1日まで、東西の融和と雄大な繋がり、ロマンティックを感じることができます。ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

 

 

2022 オンライン日本語学習を通じた地域住民とのつながりづくり(総括編)動画ができました!

愛媛県国際交流協会では、(一財)自治体国際化協会の助成を受け、本年8月~12月の間、おもに伊方町と伊予市に住む外国籍住民の方に対して、オンラインによる日本語学習を実施しました。

総括編としてまとめていますので、ぜひご覧ください。(画面をクリックすると YouTube へジャンプします)

 

2022 オンライン日本語学習を通じた地域住民とのつながりづくり(課外活動編)動画ができました!

 

 

【画像をクリックすると、Youtubeページに移動します】
愛媛県国際交流協会では、(一財)自治体国際協会の助成を受け、本年8月~12月の間、おもに伊方町と伊予市に住む外国籍住民の方に対して、オンラインによる日本語学習を実施しました。

課外活動の様子をまとめていますので、ぜひご覧ください。

2022 オンライン日本語学習を通じた地域住民とのつながりづくり(授業編)動画ができました!

 

【画像をクリックすると、Youtubeページに移動します】
愛媛県国際交流協会では、(一財)自治体国際協会の助成を受け、本年8月~12月の間、おもに伊方町と伊予市に住む外国籍住民の方に対して、オンラインによる日本語学習を実施しました。

日本語学習の様子をまとめていますので、ぜひご覧ください。

日本で学んだこと

実習生として日本にやってきました。日本に来てから、4年半になりました。いつの間にか時間は流れてしまったようです。この間に苦しい闘いがあり、酸っぱく、甘く、楽しい味がそこには揃っていて、本当にいろいろ体験していました。

4年前は、まったく知らない異国やってきて実習生を始めます。周りには私にとってすべて目新しいもので、これまで経験もしたことのないものばかりでした。最初の一年目、家族や友達と離れての寂しさもありましたが生活と会社での仕事に早く慣れるようにしました。それで毎日仕事を終ってから一緒懸命日本語を勉強しました。日本語がわからないと何でもやりにくいと思っています。指導者の指示も分からない時は間違いことをやっています。入国して以来研修期間中の先生や会社の上司にいろいろなお世話になってきました。日本語が話せないけど、皆さんはいつも微笑みで私を励ましてくれました。分からない時に絵を描いて説明してくれて、それはとても感動した体験です。

その後、日本で生活する上ですばらしいと感じることがありました。それはどこでもお客さんを歓迎してくれるということです。たとえばどこのスーパーに行っても笑顔でいらっしゃいませと元気よく挨拶してくれます。物を買わなくても、ありがとうございました、またお越しくださいと言ってくれます。買い物しなかったときはなだか少し恥ずかしく感じました。そのことを会社の人に話すと、お客さんが時間を割いて来店してくれたことに感謝の気持ちを表すと言うことは接客する上で大事なことなのだと教わりました。半年ぐらい学んで日本語が少し上手になって、仕事も慣れてきました。連体の時は友達と春には花見夏には花火大会を見に行ったり秋には紅葉を見に行ったりします。ときどき日本人と一緒に釣りに行き、日本らしい文化を接触し、日本は世界で最も優れた国だと言うことの理由を少しずつ分かってきました。
日本に4年間住んで、和食が好きになりました。和食と言うのは自然な味う重視していて、自然なものをそのまま食べると自然な味が一番美味しいことです。

日本の文化、働き方、教育に触れて、視野が広げられ、自分も徐々に成長してきました。この成長、育成に大きな役割を果たした会社、人々は私にとって第二の故郷になりました。私の心に日本人への感謝の気持ちが一杯あります。長い大変お世話になりました。心から感謝を申し上げます。
ここでの貴重な経験を帰国した後で故郷の人達に伝えることだと思っています。これからも日本の力を信じて頑張って行きます。

(ドー ヴァン クアン/製造産業技術協同組合/株式会社アテックス)

※2021年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを実施しています。クアンさんの作品は優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

春の光

今までの人生、後悔した事があるのではないでしょうか?日本に来て3年目になりました。もし2年前の私にこの質問をしたら、答えはきっと「一番後悔した事は日本に来たこと」。辛くてしょうがない。ふと家族にその話をしたいですが、心配させるかもしれません。中国の諺で「报喜不报忧」。(いい事ばかり言って悪い事を隠す)。ですから私はいつでも笑顔で家族にこう伝えます。「元気ですよ、安心してね。何年も家を離れているのでもう慣れています。」正直、家族に伝えたいし会えたいです。でもこうすると何も変わりません。

ある眠れない夜、父の言葉を思い出しました。「人は生きている内に沢山知識を吸収し、能力があればどこでも生きていける。」はい、そうです。私は自分に問い返します。「どうして今の私が逃げたいの?まだ努力が足りないのでは?どうして他の人が出来る事、私が出来ないの?」私の日本語の先生はどんな時も苦労をいとわずに来てくれます。実習指導員さんは理解できるまで根気よく指導してくれます。「容易に諦めますか?」一連の質問に対して自分と何度も何度も対話しました。このようにして少しずつ私の考えは変わってきました。すべての不幸は未来への踏み台に過ぎない。悪い時が過ぎれば良い時が来ます。そう思うようになってから一生懸命勉強して積雪がとけて、春が来ました。

春というと、殆ど桜を思い浮かべるかもしれません。4月、コロナの感染拡大で閉塞感に覆われる中、近くの公園では例年通りに桜が美しく咲きました。ぶらぶらしながら桜の木の下に座って、サクラソフトを食べていると、風に吹かれて舞った花びらが目の前をかすめました。夕日に照らされて感動的です。この景色は去年の京都旅行を思い出させました。
紅葉の美しい季節でした。仲良し4人組で旅行に挑戦しました。不安と期待に胸をふくらませ出発。私は旅行本とスマホとにらめっこです。最初の壁は、空港から京都へのJRチケットでした。券売機にお金を入れましたがチケットが出て来ません。困っている私達を見て若い男性が係員に連絡をしました。説明だけではなく彼は私達全員が無事にチケットを買い、乗り場へ行く所までを見届けました。六甲では1DAY券の使い方を案内係が丁寧に教えてくれました。地図に停留所や最終便に乗り遅れないように〇をつけてくれました。こちらが希望する以上の親切です。これら無数の親切の上で日本は成り立っていることに感動します。お陰で私達は憧れの京都の紅葉を満喫し、念願の神戸ビーフ、百万ドルの夜景を見られ、非常に充実した旅行となりました。ここでの生活は、私を後悔から喜びに変化させてくれました。私は自分の壁を乗り越え、旅行への挑戦もできました。身に染みる思いです。

そろそろ花見の時間も終わりです。桜の季節は新しい始まりを表します。努力は肥料。来年もその次もずっと満開でありますように。

(李 永慧/えひめファッション産業協同組合/株式会社ソーイング羽藤)

※2021年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを実施しています。李 永慧さんの作品は優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

山の頂上の障害者

休みの時、よく松山城に登りに行きます。ある日松山城の頂上で車椅子に乗っている障害者を見ました。びっくりしました。歩けないのに、山も登れますか?ほんとに凄いと思いました。
日本での二年間の生活で、一人でスーツを着て鞄を持って車椅子で自走して会社に行く人を見たことがあります。母親が知的障害の娘を連れて川に沿って散歩するのを見たこともあります。
その時先生とこんな会話があった。日本の障害者は中国より多いですか?よく見ますね。先生は日本にもう20年以上もいる中国人、日本の大学の先生です。それを聞いたら
「違うよ、中国の障害者はみんな家の中にいるから外で見ることが少ない。中国の障害者達もしどこに行きたい時、とても不便でしょう?車に乗せるも大変です。坂や階段とかも大変です。だから家だけで生活するのです。」
その会話の後、私はお爺さんの弟のことを思い出した。おじいさんが知的障害者です。私が子供の頃、村の人たちはよく
「お前のおじいさんはバガだ。」
と笑われました。私はいつも石を拾ってあの人達に投げました。おじいさんは学校に行ったことないです。ずっどお爺さんと生活しています。でも私にとても優しいです。私は学校を卒業して何年も経つのに。今実家に戻る時、おじいさんは必ず
「学校休み?成績はどう?」
と聞きます。
私の国にはおじいさんみたいな障害者が多いです、みんなバガと呼んでいます。それを聞いたら悲しかったです。

そして先生がある知り合いの日本人の母親の事を教えてくれました。その母親には一人の知的障害者の息子がいます。ある日この話を言いました
「神様は私がやさしいと思っているから、私がこの子をちゃんと世話できるから、息子をくれた。息子は神様からの贈り物です。」
その母親が偉いです!
先生は
「日本の政府はそんな家庭にお金を助けてあげました、そして障害者達に対する施設がある、生活の技能を教えるだけじゃなくて、できれば仕事の技術も教えます。障害者はこの世界で自分の力で生きていく努力をします。」

私は日本で視覚障害者に専用の道路、デパートで車いすに乗る人専用のトイレ、車椅子に乗る人に専用の車も見ました。色々なバリアフリー設計を見ました。ほんとに驚いて感動しました。これは日本の発達の証拠です。
日本で研修のお陰で、色々勉強になりました。母国に帰ったら、私のおじいさんみたいな障害者が仕事できるように、健康な人みたいに社会で生活できるように、太陽の下で笑顔を出すように頑張ります!

(韓 昌英/えひめ介護ネットワーク協同組合/社会福祉法人白寿会 介護老人福祉施設 白寿荘)

※2021年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを実施しています。韓 昌英さんの作品は優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

私の介護夢

私は認知症の高齢者のお世話をする介護技能実習生です。小さい時は祖父に育てられました。祖父は病気でずっと寝込んでおり。介護に関する知識が不足している私は祖父の世話をする事が満足にできないまま、祖父が亡くなってしまいました。私はショックを受けて後悔し、もしその時の自分がもっと介護の知識があったら、祖父はもう少し楽になったじゃないかなと思いました。それで大学入試の時、介護を専攻することにしました。介護の勉強をする事で、祖父のように介護が必要な高齢者に寄り添い、楽しいことをしてあげたくて、高齢者が元気よく、幸せな老後生活を過ごしてほしいと思っていました。私は日本の介護技術を習得したいと願い、色々な逆境を乗り越えて、やっと夢が叶い、切望した日本の介護施設に来ることができました。

初めて現場に入った日は、とても緊張し不安でした。利用者の状態を見てびっくりした。おしゃれな服を着て、化粧も綺麗にして、挨拶をすると頷いて笑顔でこんにちはと答えてくれました。癒される笑顔を見て、緊張感が消えました。私の指導員は利用者の好みと特徴を知っているだけではなく、「人格尊重と自立支援」が大切だと教えてくれました。その時はよく理解できませんでした。Aさんに会ってから、その意味がよくわかりました。
Aさんは今年92歳で、認知症に苦しんでいて、あまり喋られません。いつもぼんやりとしているAさんは、病気の時の祖父のように孤独でくぼんだ目をしていました。Aさんは失禁している事が多く、それを始めて見た時の忘れがたい事がありました。その日、部屋でとてもひどい便の匂いがしました。シーツやカバーや服も便で汚れていました。引き出しの中に汚れたオムツを見つけた時、困ったような目付きで私を見ていました。どうしたらいいか分からない時、指導員が来ました、自然に屈んで、笑顔でAさんの手を握って「Aさん、こんにちは。服が少し汚れているようなので、きれいな服に着替えましょう」と言ってあげたら、指導員はAさんが自分で上服を着替えるように励ましてあげていました。Aさんの自理能力を立ち直らせるために、着替えながら楽しくおじゃべりをしていました。Aさんの目から恐怖感がだんだん消えました、最後に綺麗な笑顔が出てきました。その瞬間、「人格尊重と自立支援」の意味がよく理解できました。この出来事は私の心に深く響きました。

時間が流れ。実習生として二年になりました。介護は思ったほど簡単ではありません。ここで積んだ経験は私の人生観を豊かにできます。疲れていても、この仕事が止めがたい、やりがいがある仕事だと思っています。三年間の実習が速いです。もっと多く日本の介護技術を勉強したいです。いつか日本の介護サービス理念を中国に持ち帰り、たくさんの中国の介護士に伝えて、もっと多く高齢者の老後生活を幸せにしてあげたいと思います。

(任静/えひめ介護ネットワーク協同組合/社会福祉法人白寿会 介護老人保健施設れんげ荘)

※2021年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを実施しています。任静さんの作品は最優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

「今日は何を食べるの?」

 

みなさんが毎日仕事で悪戦苦闘していて未来の計画を立てる間に私は毎日「今日は何を食べるの?」の設問をめぐって過ごしている。そうはいっても実習を頑張らなくて自分の将来のことを気にしない訳ではない。けれど、私は毎日の食事がとても大変。みなさんは簡単でも私は料理音痴で大変プレッシャーです。

日本に来たばかりの食事はほとんどラーメンでした。私の事を良く分かっている母が準備してくれました。少し持ってきたラーメンのおかげで一週間は普通に過ごしたが、次の日に気になり始めます。スーパーへ行く時は最初にラーメンをさがしました。たくさん売られているラーメンを見つけてすごくうれしかった。種類が多くて色々な作り方のラーメンがあって、日本はまるでラーメンのごくらくだ。しかし全部変わった。いろいろ試したが、日本の味になかなかなれませんでした。ラーメンからして食べられなかったのだ。仕方がないけど現実に直面しなければならないここから私の生活に料理という大変なプレッシャーとともに「今日は何を食べるの?」の設問がのせられました。

新しい生活はおいそれと始められない。毎日100%のエネルギーで実習をしています。寮に帰ってそのまま横になって寝たいけれど、全然できないと思いながらもちょう簡単料理を作り始めます。最初の一ヵ月私の食べ物はゆでる料理しかなかった。ごはんとドレッシングとゆで卵とかゆで野菜、ゆでる肉とか。一ヵ月後ゆでる物を食べあきた。いろんな料理を勉強して作りましたがゆでる料理に比べてもっと難しかった。辛すぎないなら塩辛すぎか苦すぎ。作った本人でも食べられない。幸いにも共同生活ですから先ぱいがベトナム調味料を注文してくれて、作り方や味の付け方を教えてくれました。やっとできました。スープや炒め物や蒸し物など。まだまだおいしくないけれど、毎日食べるために作りました。なんだかんだ三年間料理戦を続けて過ごしました。ある日、世界でコロナが現われて人間に激甚被害を与えた。私が気づいたのは自分の健康はとても大事。この感染をぼうぎょするために健康な体が必要です。元気になるために運動。そして毎日の栄養食。私は自分の生活を変え始めます。ユーチューバーのおいしくて栄養のある番組を見て毎日料理の勉強時間を作ります。健康な食べ物を調べ、納豆やみそ汁を食べてみました。その後私はもう一つ気づいた。料理を作るのは感情が要ります。時間を作ってちゃんと感情で料理をしたらもっとうまくなります。毎日の食事も奇怪まるでおいしく幸福になります。「びっくりしたよ。」以前より元気になって強いエネルギーでいっぱい。

私は今も「今日は何を食べるの?」の設問で一日を始めるけれど、それはプレッシャーではなくて楽しみになった。単に食べるという事だけではなくて栄養と自分の健康に注意するという事も含まれているのてす。

(グエン・ティ・ゴック/えひめファッション産業協同組合/千昇実業有限会社)

※2021年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを実施しています。ゴックさんの作品は最優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

日本へ来てからの私の生活

私は今まで日本に10ヵ月ぐらい住んで働いているベトナム人です。日本に来て、たくさんの日本人と交流ができ、日本の文化もいろいろ体験しました。
日本に来て、最初にベトナムと異なると思ったのはあいさつする文化でした。日本人は人に会ったらいつも「おはようございます」とか「ごめんなさい」と言います。その時は人に尊重されている気がしました。親切にされてうれしかったです。日本に来るまえにベトナムでも日本のあいさつ文化について聞いたことがありましたが、自分で体験はもっとすてきに感じました。日本的なあいさつ文化がベトナムでも広まってほしいと思いながら、出勤する毎日が楽しくて誰かにあったら「おはようございます」と大きい声であいさつをするようになりました。

しかし、3ヵ月ぐらい経った時に新型コロナウイルスが発生しました。感染拡大を受けて、私の会社の営業活動も大きく影響され、仕事がなくなりました。長期休みだと聞いた時、私はとても心配でした。その時、会社の人は組合の先生を呼んで私たちにベトナム語で休の間の給料を説明してくれました。私の会社は私たちに給料の80%を払ってくれます。そして、外国人の私達も日本政府から寄付金の10万円をもらいました。コロナウイルスは想像以上の猛威を振るい、私達は買い物以外、町に行けない生活をしました。その数ヶ月の間、工場長は毎日私達のところにきて、検温をして、みんなの健康を確認してくれました。同僚の日本人もよくマスクや消毒液や野菜などをくれました。いつもの笑顔で「頑張ってね」、困ったことがあったら、いつでも言ってね」と声をかけてくれました。コロナのウイルスの時代に困っているのは私達だけではないでしょう。大変な時期にみんなの大変にもかかわらず、家族を離れて遠い国で仕事をしている私達に日本の政府、会社、周りの日本人は支援や激励の手を差し伸べてくれました。そこにはお金を稼ぐ目的以外のことを人生の目標にして、毎日を最高の日々にしようと努力する自分がいました。チェスプレーヤーのロバート・バーン氏は「人生の目標は目的がある人生を送ることだ」と言いました。コロナウイルスの関係で、仕事がなく、私にはたくさんの時間ができました。毎日日本語を勉強したり、好きな本を読んだり、ヨガをしたりキュウリなどの野菜を育て家庭菜園も楽しんだりしています。私は今の暮らしに特別な価値があると感じます。私達は家族と一緒に住んでいませんが孤独ではなく、お金も満足に稼ぎませんでしたが、幸せだと思います。これから私にいろいろな困難を克服する力を与えてくれるでしょう。

今、私の会社の状況は少しよくなり、週に2~3日は出勤できるようになりました。「おはようございます」とあいさつが言える日が増えてきました。「お疲れ様」と言う時にはコロナウイルスが早く収束してほしいと心から願っています。

(グエン ティ オアイン/中四国経済交流事業協同組合/株式会社母恵夢本舗)

※2021年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを実施しています。オアインさんの作品は優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

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