リレーコラム

リレーコラム

「日本語パートナーズ」短期派遣事業 現地レポート

独立行政法人国際交流基金アジアセンターでは、アジアの中学・高校などの日本語教師や生徒のパートナーとして、授業のアシスタントや日本文化の紹介を行う日本語パートナーズ派遣事業を実施しています。

「日本語パートナーズ派遣事業」は派遣期間が半年以上の長期派遣が基本ですが、2021年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、マレーシアのホストタウンとなっている愛媛県内の大学生が短期派遣事業として派遣され、現地の大学で日本語を学ぶ学生たちと交流を深めました。

現在、活動の様子を記した報告書が独立行政法人国際交流基金アジアセンターのホームページでご覧になれますので、ぜひご一読ください。

URL https://jfac.jp/partners/voice/report/tanki-ml-01/

 

 

 

 

西条市国際交流協会では、ダイアナ・マリー・リントンさん(本年3月21日当協会リレーコラムに寄稿)と、グエン・ブイ・アン・ティーさん(本年4月2日にリレーコラムに寄稿)の動画を配信しています。
国際交流員として、西条市の国際交流や異文化理解に寄与しているおふたりの力作ですが、とくに、地域の多文化共生について考えさせられる内容です。
ぜひご覧ください。

西条市国際交流協会HP http://www.saijo-iea.jp/

メッセージ Message

瞬く間に半年が過ぎて行きました。令和最初の夏、熱気溢れる「男祭り」で有名なこの新居浜市に国際交流員として着任した日を今でも覚えています。漂うみかんの香り、湿った夏の空気、次から次へと上陸した台風、どれもインパクトが強かったのですが、何より印象に残ったのは、それらに負けない地元の人々の温かさと優しさでした。行く先先で「愛顔」で迎えられて、愛媛の皆様の温かい歓迎が心に響きました。これがいわゆる日本の「おもてなし」というものなのでしょうか?

「お・も・て・な・し」という言葉は、テレビアナウンサーの滝川クリステルさんが2013年に国際オリンピック委員会(IOC)の総会で発言したことから、世界に広まりました。オリンピックに向けて、日本がより多くの外国人観光客を迎え入れるために具現化されたこの素晴らしいサービス精神は、都会から地方まで、日本全国で味わうことができます。海外から来たお客様が日本を最大限満喫できるように様々なイベントや企画をたてたり、また、皆の安全が確保できるように外国人のための防災対策などに取り組んだり、地方行政や地域コミュニティが一生懸命歓迎しようとしたりしているのをみて、非常に感動しました。
……日本も変わりましたね。

私が日本に留学しに来たのは、2007年、春のことでした。当時、外国人の数は今ほど多くなくて、その珍しさからなのか、登録上で「エイリアン※」として分類されていました。特に、私のようなヒジャーブを被っている東南アジアのムスリム女性は、どこに行っても注目されて、時には警戒されて、コミュニティに溶け込むことはなかなか難しかったです。世界中で起こっていたテロ事件の影響で、テレビに映っている悪い人たちと似た外見を持つ者が恐れられるのも無理のないことかもしれませんが、お互いの国や文化、宗教などに対する理解が足りなかったことから生まれたスティグマを打ち破ることができなかったのはとても悔しかったです。これはもちろん、美しい思い出に満ち溢れた留学時代のごく一部の経験に過ぎませんが、この経験があったからこそ、国際交流員としての今の自分がいます。

日本にいる外国人の数は7年連続増加していて、新居浜のような小さなまちでさえ、約1,400人にのぼる外国人が在住しています。これは、1、2週間で帰国する「お客様」ではなくて、今現在、一緒の職場で働いている「同僚」、一緒のアパートに住んでいる「お隣さん」の数を示しています。果たして日本は、こんな多くの外国人をコミュニティに受け入れる覚悟はできているのでしょうか?知らない外国人が増えているのは、地元の方々にとって非常に不安なことだと思いますが、外国人を代弁して心の声を伝えますと「私たちも、慣れない国で暮らすのは不安です。」。こんな時に、一緒に暮らしていくには、どうすればいいのでしょうか?

私の母国マレーシアでは、こんなことわざがあります。“Tak kenal maka tak cinta”、「知らなければ愛せない」という意味です。人は知らないことを恐れる傾向があります。理解できないから怖い、怖いから嫌い、この繰り返しから抜け出す方法はただ一つ:お互いのことを知り、理解し合うことです。それができるのは、国や政府による政策やルールを通してではなく、私たち、市民一人一人が一歩を踏み出して、お互いのことを知ろうと思う心を持たなければはじまりません。一人一人が目と心を開けば、ゆっくりと確実に地域にも影響を及ぼして、やがて皆にとってより暮らしやすい社会を作ることができると信じています。

「人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、さまざまな種族と部族に分けた。それはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。(後略)」
第49:部屋章 第13節

(ファラ・マンスル)

※2012年まで使用されていた「外国人登録証明書」は、英語で “Certificate of Alien Registration”といいます。“Alien(エイリアン)”とは、英語で「外国人」または「異星人」という意味もあります。
※本稿で示した見解はすべて筆者個人のものであり、筆者の所属する組織の見解を示すものではありません。

Half a year has passed in a blink of an eye. I still remember the day I arrived here in Niihama, a city famous for its “Man Festival”, as the Coordinator for International Relations (CIR) on the first summer of the Reiwa Era. The lingering scent of mikan, the humid summer air, the endless typhoons, all left a strong impression, but what was even more memorable than all that, was the warmth and kindness shown by the local people. The smiles that await me everywhere I go, and the warm welcome received from the people of Ehime was truly overwhelming. Is this what they call the Japanese “omotenashi”?

The term “omotenashi”, or the Japanese hospitality, was made famous by Christel Takigawa, a Japanese TV announcer, during her presentation to the International Olympic Committee (IOC) in 2013. Today, one can have a taste of this wonderful spirit of hospitality all over the country, from the big cities to the country sides, as Japan prepares to welcome more and more foreign tourists towards the Olympics. I was very impressed to see the efforts made by the local government and local community in planning various events and projects so that visitors can enjoy Japan to the fullest, on top of implementing disaster relief measures for foreigners to ensure the safety of all during their stay.
……Japan has changed.

I first came to study in Japan in spring of 2007. At that time, the number of foreigners was not as large as it is now, and were literally classified as “aliens”. For a hijab-donning Southeast Asian Muslim girl like myself, blending into the community was especially hard, as my appearance draws attention, and at times caution, everywhere I go. Though it may be understandable for the public to fear those who look similar to the bad people they see on TV due to the impact of terrorist attacks happening all over the world at that time, the fact that we failed to overcome the stigma that was fueled from lack of understanding of each other's country, culture, and religion was extremely frustrating. This, of course, was just a fraction of my experience during university days which was filled with beautiful memories, but this experience was what led me to become the person I am today.

The number of foreigners in Japan has continued to increase for the past 7 years, where even in small cities like Niihama now has approximately 1,400 foreign nationals calling it home. This is not the number of “guests” who will return home in a week or two, but instead, is the number of “colleagues” who are currently working in the same office, and “neighbors” living in the same apartment building. I can’t help but wonder, is Japan really ready to accept so many foreigners into the community? It must be very scary for the local community to see the number of foreigners they don’t know increasing around them, but if I may voice out the inner thoughts on behalf of the foreigners, I would say that “we are scared too”. So, in times such as this, how do we learn to live together?

There’s a saying from my home country Malaysia that goes “Tak kenal maka tak cinta”, which translates as “you can’t love what you don’t know”. People tend to be afraid of what they don’t know. Not understanding leads to fear, and fear leads to hate. The only way to break out of this loop is for us to get to know and understand each other. And this cannot be done through policies or rules created by the country or the government. It can only be done when we, the people, take a step forward and nurture our hearts to learn and accept our differences. I truly believe that if each one of us learn to open our eyes, minds, and hearts, it will slowly, but surely affect the local community, and eventually create a better society for us all.

“O mankind, surely We have created you from a male and a female,
and made you into nations and tribes so that you may know each other …”
Chapter 49: Al-Hujurat, Verse 13

( By Farah Mansor )

*The opinions expressed in this article are the author’s own and do not necessarily reflect the views of organizations affiliated to the author.

 

 

 

留学生として埼玉に住んでいた私は、2010年の春、岡山から瀬戸大橋を通って、初めて四国に来ました。
四国での滞在時間はわずか1時間。
目的は四国ではなく、その当時、道路と鉄道がとおる世界一長い橋の見学でした。
からっとした春の風、どこまでも広がる青い海、それが四国の第一印象でした。

2017年7月末、ベトナムから四国への2回目の旅へ出発しました。
到着したのは松山。桜三里の木々、それを照らす真夏の太陽。
西条に到着後、まず職場での挨拶を済ませ、そのあとは携帯の購入やごみ袋の受け取りと新しい生活の準備に追われました。
初めて日本に留学したあのわくわく感とは反対で、孤独を感じていました。
その夜、しーんと静まり返ったアパートのベランダからひとり、お月様を眺めていました。

私は多くのベトナム人と同じように、小さいころから日本に憧れ、大学では日本語を勉強しました。
最近、日本企業がベトナムに多く進出しており、また、日本政府もベトナム人留学生や技能実習生を日本国内に受け入れています。
日本語ができればいい仕事に就きやすい時代にいられて、私はとてもラッキーだと思っています。
社会人として会社で働いているうちに、何かの形で社会に役に立ちたいと思うようになりました。

日本に来るベトナム人が、近年、とても早いスピードで増えてきています。
しかし、習慣や文化の違いによる問題も多く生じています。
このままだと、ベトナム人に対する偏見が生まれ、また状況も悪くなってしまうのではと懸念しました。
その頃、国際交流員として日本で働く機会があることを知り、この仕事に応募しました。日本にいるベトナム人が自国のことを誇りに思いながら、日本社会の一員として生活できるように、その手伝いができると思ったからです。
私は主人とまだ幼い娘をベトナムに残し、日本での国際交流員として西条市へ派遣されました。

国際交流員としての私の仕事は、国際交流、ベトナム語講座、友好都市提携事業などです。
課された業務を全うしながら、国際交流員だからできることを自ら企画して立案します。
ベトナムの人と地元の人が交流できる場を多く作ることを心がけています。

文化紹介のイベントでは、西条に住んでいるベトナムの実習生は食材を探したりしていろいろ手伝ってくれます。
また、仕事が終わったあと、ベトナム語講座をいつも手伝ってくれます。
講座を受講している日本人のみなさんは、「ベトナム語が難しい、できない」と言いながらも、交流が楽しいから、熱心に通ってきてくれます。
そして、このような場で、実習生の話をリアルに聞くことができました。

ベトナムから来ている人たちは単に豊な生活を望んで日本へ働きに来ているのではありません。
兄弟を大学へ行かせるために仕送りをしている人もいます。
貯金できたら起業したい人、成功したい人も少なくないです。
仕事がどんなに大変でも、たとえ短い期間であったとしても、日本に行ってみたい素晴らしい国です。
みんなの目がきらきらしていて、私もうれしくなりました。
「夢は日本の大学に入ること」そう言う人も多いです。
彼らは毎日、仕事のあと、日本語を勉強し、週末にはボランティア日本語教室でも勉強しています。
日曜日の朝、今治から西条へ向かう電車でも、ベトナム人実習生を見かけます。
朝9時から夕方5時まで、勉強漬けの一日を過ごします。
彼らの日本語学習を全面的に支援している日本人ボランティアの方々もたくさんいます。
そんな方々の優しさは、異国で得られる心温まる宝物です。

西条に来てから一年後、5歳になる娘を連れてきました。
主人は仕事の都合がつかなかったため、私は職場と友達にささえられながら、一人で子育てをすることになりました。
仕事が忙しい時は地元の人に娘を預けたり、またいろいろな所に車で連れ行ってもらったこともあります。
仕事から帰ってくると、玄関先に新鮮な野菜がたくさん入った箱を見つけたこともあります。
ベトナムを思い出させてくれる唐辛子やレモングラス、懐かしさやうれしさ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

私はだれかの役に立ちたいと思って日本へ来ました。
それなのに、優しい日本の人に出会って、たくさん助けていただきました。
いきいきとしているベトナムの若者たちにも出会い、彼らから刺激をもらいました。
人が優しい町、そんな中で暮らしている私はとてもラッキーです。

先日、しまなみ海道でのサイクリングに初めて挑戦しました。
今治から尾道までの続く道はとても長かったですが、道端に芽吹く緑のまぶしさや、瀬戸内海の深い青、私の心はすがすがしくなりました。
10年前に初めて見た海の青さより深みのある青に感じられたのは、この地で人との出会いのおかげでしょうか。
からっとした春の風が娘の髪をやさしくなでて行きます。
そんな娘も4月からは小学生。
私の心はノスタルジックを感じています。

(グエン・ブイ・アン・ティー)

Tôi, lần đầu tiên đến vùng Shikoku vào mùa xuân 2010, khi đang du học ở Saitama. Mục đích của chuyến đi là tham quan cây cầu dài nhất thế giới có cả đường bộ và đường sắt nối liền vùng Honshu và vùng Shikoku. Cái gió hây hây, màu xanh của biển là ấn tượng trong tôi sau chuyến đi vội vã.

Cuối tháng 7 năm 2017, từ Việt Nam tôi khăn gói lên đường đến Shikoku lần thứ hai. Trên đường từ sân bay từ Matsuyama về Saijo, cái nắng giữa trưa hè chói chang lên hàng cây hai bên đường khiến lòng tôi cũng chút sáng sủa. Nhưng đã không còn cảm giác khấp khởi như lần đầu đến Nhật du học, mà thay vào đó là cảm giác lẻ loi. Đêm đầu tiên ở thành phố nhỏ, tôi ngước nhìn ánh trăng lặng lẽ chiếu sáng trong đêm.

Giống như nhiều người Việt Nam đồng trang lứa, từ nhỏ tôi đã được nghe nói về đất nước Nhật Bản phát triển nhiều điều đáng học hỏi. Khi vào đại học tôi đã chọn học ngành Nhật Bản. Trong những năm qua, rất nhiều doanh nghiệp Nhật đầu tư vào Việt Nam, Nhật Bản cũng tiếp nhận số lượng lớn thực tập sinh kỹ năng và du học sinh. Tôi thấy thật may mắn vì với khả năng tiếng Nhật, hiểu biết về Nhật Bản giúp tôi dễ dàng tìm được công việc tốt. Tôi đã nhận được nhiều cơ hội phát triển nghề nghiệp, mang đến cuộc sống sung túc cho bản thân và gia đình. Suốt thời gian dài, tôi đau đáu mong muốn làm việc có ích để đáp lại những ưu ái mà thời đại đã dành cho mình.

Sự phát triển trong quan hệ giữa hai nước Việt Nam và Nhật Bản tạo cơ hội cho nhiều người Việt Nam đến Nhật Bản học tập và làm việc. Nhưng đồng thời, các vấn đề xã hội bao gồm cả tội phạm cũng tăng tỷ lệ thuận với sự gia tăng một cách nhanh chóng số người Việt đến Nhật. Tôi lo sợ rằng nếu tình hình cứ tiếp diễn không tránh khỏi sự hình thành những định kiến phân biệt đối xử với người Việt.
Khi biết đến công việc “Điều phối viên quốc tế”, tôi đã không do dự đăng ký ứng tuyển. Trong vai trò một Điều phối viên quốc tế làm việc cho chính quyền địa phương, tôi có thể hỗ trợ cho người Việt sống tốt với vai trò là một thành viên trong xã hội Nhật Bản và tự hào là người Việt Nam. Xa chồng, xa con gái vẫn còn thơ, tôi một mình sang Nhật Bản để thực hiện lý tưởng của mình

Công việc của một Điều phối viên quốc tế bao gồm tham gia tổ chức hoạt động giao lưu quốc tế, lớp dạy tiếng Việt, các công việc về giao lưu thành phố hữu nghị,… Tôi làm các công việc được giao và đề xuất các hoạt động tạo điều kiện cho người Việt Nam và người Nhật Bản giao lưu một cách tích cực.
Người Việt ở Saijo hầu hết là các bạn Thực tập sinh kỹ năng. Một số bạn luôn giúp đỡ tôi trong các hoạt động giới thiệu văn hóa Việt Nam. Các bạn không ngại khó khăn để tìm kiếm nguyên vật liệu làm món ăn ngon của Việt Nam, không ngại đến lớp tiếng Việt giúp tôi hướng dẫn tiếng Việt cho học viên người Nhật. Ngay cả các học viên người Nhật luôn nói rằng “Tiếng Việt khó quá, không học được”, nhưng mọi người đều rất chăm chỉ đến học vì thích giao lưu với các bạn người Việt. Cũng chính qua những hoạt động này, không chỉ những người Nhật mà ngay cả bản thân tôi được nghe những câu chuyện “rất đời” của các bạn.

Có lẽ, đa số mọi người nghĩ rằng người Việt sang Nhật để kiếm tiền phục vụ cho một cuộc sống sung túc của bản thân. Nhhưng đó không phải là tất cả! Có bạn đành bỏ ước mơ vào giảng đường đại học sang Nhật làm việc để giúp đỡ bố mẹ nuôi các em đi học; có bạn ấp ủ ước mơ khởi nghiệp; có bạn ước mơ một lần được đến đất nước mà bao người ngưỡng mộ, dẫu chỉ trong một khoảng thời gian ngắn, dẫu có bao khó khăn vẫn chấp nhận. Ánh mắt lấp lánh hi vọng của các bạn khi kể về những dự định cho tương lai làm tôi cũng thấy vui lây.
Có những bạn ấp ủ ước mơ được du học tại Nhật, nên ngày ngày sau giờ làm đều tự học tiếng Nhật. Cuối tuần được nghỉ thì theo học các lớp tình nguyện. Trên những chuyến tàu từ Imabari đến Saijo,bạn có thể nhìn thấy những bạn trẻ đang đi đến lớp. Theo lời các bạn, từ 9 giờ sáng đến 5 giờ chiều là một ngày “đắm chìm” trong tiếng Nhật. Những giáo viên tình nguyện người Nhật hết lòng giúp đỡ cho những người nước ngoài. Tấm lòng của những người dân địa phương thực sự là món quà ấm áp mà Nhật Bản dành cho những người xa quê.

Đến Saijo 1 năm, tôi đón con gái sang. Vì lý do công việc, chồng tôi không thể đến Nhật nên tôi một mình chăm sóc con gái với sự giúp đỡ của đồng nghiệp và bạn bè. Khi phải đi công tác xa tôi gửi con ở nhà bạn, đi tổ chức hoạt động mọi người lại chở hai mẹ con tôi đi. Mấy hôm đi làm về mệt, tôi lại thấy trước cửa nhà đặt một thùng đầy rau quả. Có khi có cả mấy quả ớt, mấy tép xả gợi nhớ hương vị quê hương. Tôi cảm nhận lòng mình đong đầy cảm xúc hạnh phúc và lòng biết ơn.
Tôi chọn công việc này đến Nhật với lý tưởng giúp đỡ cho người khác. Nhưng khi đến đây, chính tôi là người được những người Nhật tốt bụng giúp đỡ. Tôi được gặp gỡ những bạn trẻ người Việt sống tích cực, chính các bạn tạo thêm động lực cho tôi.Tôi thấy mình hạnh phúc biết bao khi được sống ở thành phố thật ấm áp tình người.

Hôm trước tôi đã đạp xe đạp qua Shimanimi Kaido, con đường nối đảo Shikoku và Honshu. Những mầm lá non trên cành vươn ra đón ánh nắng óng ánh, mặt biển xanh biếc làm lòng tôi thật rạng rỡ.
Màu xanh của biển trong ký ức mười năm trước khi lần đầu tôi đến Shikoku giờ thật thắm thiết.
Làn gió hây hây vờn mái tóc cô con gái sắp vào lớp một. Lòng tôi bồi hồi xúc cảm quyến luyến vùng đất này.
Nguyễn Bùi Anh Thy
2020/02/29 Ehime, Nhật Bản
*Chú thích:
Vùng Honshu: đảo lớn nhất Nhật Bản bao gồm Tokyo, Osaka...
Vùng Shikoku: bao gồm 4 tỉnh: Ehime, Kochi, Kagawa, Tokushima

ドンドンドンチンチリリン
10月14日は前夜祭。太鼓の音が至るところで聞こえるなか、友達の家に温かく迎えられました。西条祭り本番まで後もう少し。法被に着替えながら、友達からお祭りが始まると新しい恋も始まると聞きました。初めての西条祭りで胸が高鳴り、「あり得るな」と思いました。

夜中の12時。宮出しをお祝いするため、伊乃神社まで皆が檀尻を運び、歩きます。歩きながら、周りの人と昔なじみのように話し合い、寒さの中にも温かさが感じられます。

ドロドロドロドロドロドロ
伊乃神社で檀尻を差し上げます。人々が鈴なりになり、見知らぬ人に押されますが、皆が一丸となって熱狂する姿を目の当たりにすると、心の奥が感動に溢れんばかりで、幸せです。お祭りは確かに愛情に満ち溢れています。太鼓の音には皆の心音が映されるのではないでしょうか。年齢も性別も国籍も問わず、何千人が一緒に盛り上がり、頑張ることで心が繋がるのです。お祭りにはコミュニティーが感じられます。そして、あっという間に「私たち」になると思います。

やはりお祭りは新しい恋の始まりでした。

4年前に始めて西条祭りを経験した思い出です。忘れられない、心に残る思い出の1つとなりました。2016年に、お蔭様でジェットプログラムの国際交流員として仕事をさせて頂けることになり、温かい市民に溢れている、素敵な西条市に住むことになりました。西条市は自然豊かで、石鎚山系の綺麗な景色が背景となり、「うちぬきの水」のお蔭で美味しい野菜や果物に恵まれています。西条市の市民と触れ合いながら、知恵を借りて、西条の歴史や文化等についてより詳しくなり、国際交流と異文化理解を深めようと心がけてきました。

毎年西条祭りにも参加します。その度、改めて西条に恋に落ちます。そして、「YOUは何しに日本へ」という番組の全国放送でも西条市と西条祭りの魅力を多くの方に伝えることができ、海外の友達の興味もひいて、西条祭りを経験するためにわざわざ四国まで遊びに来て頂けました。友達も西条祭りの感激的な場面に感動させましたし、普段穏やかな市民達の情熱に驚かされました。西条市は私の第2の故郷と言えるぐらい西条のことが好きになりましたし、心の宿るところだと感じます。

しかし、初めて学生として来日した2008年には、日本がこれほど私の人生に影響を与えるとは思いもよりませんでした。留学した1年半の間に北海道から九州まで旅をしましたが、最も長く滞在したのは名古屋でした。名古屋にある南山大学の外国人留学生別科に入りましたが、学生寮ではなく、ホームスティを選びました。ホストファミリーと暮らしながら、日本の家庭生活を経験しました。文化背景の違いから様々な誤解も生じましたが、お互いに意見と立場を尊重するようになり、異文化への理解を深めました。

日本に留学している間に在日韓国人をはじめとして、在留外国人と日本の近隣諸国との関係を研究しました。それをきっかけとして、韓国語と中国語を勉強し始め、韓国と台湾にも留学しました。韓国では、日韓文化の間の類似や相違のニュアンスや、共有している歴史が現在の社会と関係にどのように影響を与えているかについて学びました。台湾では、台湾の異色の文化遺産、中国との複雑な関係と中国に繋がっている歴史や過去等について学びました。私は日本に留学したことがあったので、台湾の学生と話したときに台湾と日本の友好関係も話題になりました。

大学を卒業した後、香港の教育関係の会社に就職しました。2年間ぐらいその会社に務めましたし、香港で働いている間に東南アジア各地を旅しました。マレーシアのボルネオ島に位置し、標高4,095mのキナバル山へ登山に行き、昔ながらの雰囲気が感じられるシンガポールのホーカーズで満腹しました。中国の桂林市の円満な環境と上海の表象的な夜景を楽しんだり、タイの保護区で虐待から救出された象に会ったりしました。カンボジアでクメールルージュの悲惨な歴史について学んだり、ベトナムの北から南まで旅をしたりしました。

しかし、他の国で留学したり、働いたり、旅行したりしたら、日本から離れて、6年以上も経ちました。ですから、日本が恋しくなり、ジェットプログラムの国際交流員になると決意しました。日本語の勉強も6年ぶりでしたが、何とかなると思いながら、頑張ってみました。結局、希望した四国で働くことになりました。西条市のことについては聞いたことがありませんでしたが、まだ知られていない日本を探検したかったので、たまたま西条になって良かったと思います。

西条に来たばかりの頃にも色んな人にすぐに受け入れて頂いたり、何回も心の広い市民に助けて頂いたりしました。西条市民の親切さのお蔭で、この4年間が私にとって有意義な時間となっています。

(ダイアナ・マリー・リントン)

 

The beating of taiko drums. The tinkle of hand bells.
It’s the night of October 14. The eve of Saijo Matsuri. The beating of taiko drums resounds throughout the entire city as my friend welcomes me into her home. Just a bit longer before Saijo Matsuri begins in earnest. While I change into my happi*, my friend tells me that new love blooms with the start of the matsuri. As my heart beats with excitement at the thought of my first Saijo Matsuri, I believe it’s possible.

*Traditional Japanese coat used for matsuri

Midnight. To celebrate the miyadashi**, all of the danjiri make their way to Isono Shrine. Along our procession, I talk to those around me as if we are old friends; despite the cold, we can feel warmth from each other.

**Moment the deity leaves the shrine
***Traditional wooden floats built by each district to give praise to the shrine deity

The drumbeat intensifies.
We hoist the danjiri over our heads in front of Isono Shrine as throngs of people fill the shrine precinct in celebration. Even though I am jostled around by people I do not know, the sight of everyone united in unrestrained excitement unfolding before my eyes fills me with the deepest joy. Saijo Matsuri is certainly overflowing with love.
The reverberations of taiko drums echoes the beating of our hearts. Regardless of our age, gender, or nationality, our hearts form a connection as we convene with the same passion and work as one toward the same goal. I can sense the spirit of the community and, in an instant, you and I become us.

As foretold, the matsuri was the start of new love.

That was a recollection of my first Saijo Matsuri from 4 years ago – an unforgettable experience. In 2016, I came to work in Saijo City as a Coordinator for International Relations (CIR) through the JET Program. The Ishizuchi mountain range forms the backdrop for this city abundant with nature. Thanks to the clean natural Uchinuki spring waters, there is no lack of delicious fruits and vegetables. While immersing myself into the community, I have grown more knowledgeable of Saijo’s history and culture. Throughout these 4 years, I have endeavored to deepen international exchange and the understanding of different cultures.

Every year, I have taken part in Saijo Matsuri. Each time, I fall in love with Saijo all over again. I was even able to share the joys of Saijo Matsuri and Saijo City with a larger audience during the national broadcast of a television show called “Why did YOU come to Japan?” I garnered the interest of friends abroad, so they flew all the way to Shikoku to join us for Saijo Matsuri. They too delighted in the festivities, though the enthusiasm of the ordinarily quiet locals was a surprise. In many ways, Saijo has become my second hometown.

However, when I first came to Japan as a student, I had no idea that Japan would play such a big role in my life. During my year and a half studying in Japan, I traveled from Hokkaido to Kyushu but spent the longest time in Nagoya as a student in the Center for International Studies at Nanzan University. I chose to live in a home stay, so I could experience the home life of a few families. While we had misunderstandings due to the differences in our cultural backgrounds, we were able to respect each other’s opinions and point of views, and deepen our understanding of one another.

Throughout university, I researched the Zainichi Korean community, the growing population of foreign residents in Japan, and Japan’s relationship with neighboring countries. That research became my incentive to pursue Korean and Mandarin language studies in South Korea and Taiwan. In South Korea, I further studied the similarities and differences of Korean and Japanese culture as well as the history that is responsible for current affairs within the two nation’s individual societies and relationships they have with one another. In Taiwan, I explored Taiwanese culture and Taiwan’s complex cultural and historical connections to China. My experiences in Japan became subjects of conversation throughout these experiences.

After graduating from university, I worked for an educational institution in Hong Kong. During the 2 years that I worked there, I traveled throughout Asia. I hiked to the 4,095-m peak of Mt. Kinabalu in Malaysia, ate to my full in the old-school hawker centers of Singapore, and enjoyed the tranquil atmosphere of Guilin and nightscape of Shanghai in China. I also visited elephants on wildlife reserves in Thailand, learned of the harrowing history of the Khmer Rouge in Cambodia, and journeyed from the north to the south of Vietnam.

After studying and traveling in other countries for so long, I missed Japan, so I applied for the JET Program as a CIR. Although I had not formally studied Japanese for over 6 years, I decided to try my luck. Wanting to explore the still relatively unknown Japan, I was delighted when I was offered a placement in Shikoku, my first choice.

When I first arrived in Saijo, many people welcomed me and helped me to settle into my new home. Thanks to their kindness, these 4 years have been a full of meaning.

(Diana Marie Linton)

小学校を訪問して驚いたこと Điều gì làm tôi ngạc nhiên khi tôi đến thăm một trường tiểu học

3年前に初めて日本へ来た時、ベトナム人の学生20人を連れて、静岡県の小学校との交流会に参加しました。今までも日本と日本人のことにびっくりし感心させられることが多かったのですが、その交流会の体験が今までで、一番強烈な印象を受けました。

最初は、その小学校の学生は、ベトナムの学生を迎えるために、工夫して色々準備してくれていました。グループに分け、ベトナムの学生1人を日本の学生4-5人が担当して、いつもその担当する人が面倒みてくれたり、案内したりしてくれました。そして、日本の文化を紹介するのに、とても面白いプログラムを工夫して準備していました。

しかし、一番びっくりしたのはお昼のことです。昼休みのベルが鳴ったら、速やかに本やノートなどを片付けて、机に入れて、スプーンやフォークや箸など自分のものを並べました。当日、当番の人は早く白い給食エプロンを着て、マスクをかけて、一人ずつ自分の仕事を手早くやって、クラスの全員の給食を配りました。全員が給食をもらったら、一緒に「いただきます」を言って、何も残さないで美味しく食べました。特に、牛乳を入れた紙箱は洗って、きちんと並べて、リサイクルのために干しました。

食事が終わったら、みんなで一緒に早く掃除して、そして、教室で可愛い曲の通りに楽しく歯を磨きました。食事の後、少し寝むそうなベトナム人を誘って、外へ運動に出ました。午後の授業になったら、また元気で明るく授業に参加しました。小学生5年生はまだ、小さいですが、先生の合図だけで何でも自分でできて感心しました。

私はその日のことに感動しました。発展して、今日の日本ができたのには、日本の教育、特に小学校の教育がどんなに大きい役割があるか、よく理解できました。その体験は私の大切な動機になって、今回、また日本で働いて、体験をしに来ました。そして、将来、娘を日本へ連れてきて、日本の素晴らしい教育環境を体験させたいと思っています。

グエン ティ トゥ アイン(NGUYỄN THỊ TÚ ANH)

Ba năm trước, khi lần đầu tiên đến Nhật, tôi đã dẫn 20 bạn nhỏ Việt Nam cùng tham dự buổi giao lưu với các học sinh một trường tiểu học ở tỉnh Shizuoka. Cho đến bây giờ tôi từng nhiều lần ngạc nhiên, khâm phục về đất nước Nhật Bản nhưng trải nghiệm của buổi giao lưu ngày hôm đó đã để lại trong tôi những ấn tượng không thể nào quên.

Đầu tiên là việc, để chuẩn bị chào đón đoàn học sinh Việt Nam, các bạn học sinh Nhật Bản đã rất kì công chuẩn bị rất nhiều chương trình đặc sắc. Mỗi bạn học sinh Việt Nam được 4-5 bạn Nhật phụ trách, các bạn luôn quan tâm, hướng dẫn tận tình cho người bạn của mình. Các bạn còn tổ chức các trò chơi, tiết mục văn nghệ thú vị để giới thiệu về văn hoá Nhật Bản.

Tuy nhiên điều làm tôi ngạc nhiên nhất là vào giờ nghỉ trưa. Khi tiếng chuông báo hiệu giờ nghỉ vang lên, các bạn học sinh nhanh chóng thu dọn sách vở, đồ dùng học tập, rồi xếp thìa, dĩa, cốc,… gọn gàng trên bàn. Rồi có một số bạn trực nhật ngày hôm đó thì mặc tạp dề, đeo khẩu trang, mỗi người một việc rất nhanh nhẹn, các bạn ấy chia các phần cơm và phát cho lần lượt các bạn trong lớp. Sau khi tất cả thành viên đã nhận được phần cơm của mình, tất cả cùng nói “Itadakimasu” rồi ăn rất ngon lành mà không bỏ sót lại thứ gì. Đặc biệt, các bạn ấy đã gỡ vỏ hộp sữa ra, rửa sạch, gấp gọn gàng rồi phơi khô để tái sử dụng.

Sau khi ăn xong, tất cả mọi người cùng nhau dọn vệ sinh, mỗi người một việc vô cùng nhanh nhẹn. Sau đó, các bạn ấy cùng nhau đánh răng trong lớp theo một điệu nhạc rất dễ thương. Sau bữa trưa, trái ngược lại với các bạn Việt Nam thường hay có một giấc ngủ trưa ngắn, các bạn học sinh Nhật ùa ra sân trường để vận động, chơi trò chơi và khi đến giờ học buổi chiều, các bạn rất hào hứng vui vẻ tham gia vào giờ học.

Tôi vô cùng khâm phục bởi các bạn nhỏ mới chỉ học lớp 5, vậy mà có thể tự mình làm mọi thứ một cách rất chuyên nghiệp, giáo viên chỉ cần đứng đó và ra hiệu lệnh cho các bạn.

Buổi giao lưu ngày hôm đó đã hoàn toàn chinh phục tôi. Và tôi hiểu ra rằng, để tạo nên đất nước Nhật Bản giàu đẹp văn minh như ngày hôm nay, vai trò của giáo dục, nhất là giáo dục tiểu học quan trọng nhường nào. Những ấn tượng ngày hôm đó đã trở thành một động lực to lớn để lần này tôi trở lại, tiếp tục làm việc và học tập tại Nhật. Trong tương lai, tôi mong muốn đưa con gái tôi sang Nhật để được trải nghiệm nền giáo dục tuyệt vời của đất nước này.

(NGUYỄN THỊ TÚ ANH)

 

 

 

 

優しさ!どこでも触れることができる!


私は去年12月に丹原国際交流協会のスピーチコンテストに参加しました。私が誇りに思うベトナム人の普段の生活の中にある「優しさや思いやり」について発表しました。ベトナムでは、だれでも、いつでも熱心に助け合うというお話をしました。困ったときは初めて会った人にも助けてもらえます。

私のスピーチを聞いた一人の日本人はこのように言いました。「あなたのスピーチは多くの日本人の心に届きました。ベトナム人の優しさは今の日本人にはあまり見られなくなっています。昔は日本人も思いやりの心を持ってよく助け合いましたが、今は物質主義や個人主義が優先されて、思いやりの大切さを忘れてしまったように思います。」でも、私はそう思いません。私が日本て出会った日本人はそうではありません。

私は、日本に来たばかりのころは生活に不安があり、また日本人とうまくやっていけるだろうかなどとても心配しました。けれども、時間が経つにれてその不安がなくなっていきました。なぜかというと。会社でもふだんの生活でも周囲の人々が優しく接してくださるからです。

現在日本にはボランティアで日本語を教えている方がたくさんいます。高校生から定年退職された方までいます。これは慣れない仕事や生活をしている私たち外国人に日本語を教えるだけでなく、いろいろな面で支援するためです。私が通っている日本語教室の先生は、毎週日曜日に朝から9時から午後5時まで日本語を教えてくれます。時間を惜しんで、お昼ごはんは持ってきたお弁当やパンで済ませます。日曜日は休みの日なのに、貴重な間を私たちのために使ってくれています。この熱心な先生のおかげで、私たちの日本語は上達しています。先生の優しい心に感謝の気持ちでいっぱいです。

それに、私が働いている会社はとてもきれいで、働きやすい環境なのです。法律を守って、技能実習生を大事にしています。私たちは遠い国から来ているので、生まれ育ったふるさとの食べ物が懐かしくなりますが。その食材などは日本ではあまり売っていません。これを知った会長が会社の庭にベトナムの野菜をたくさん育ててくれました。私たちは毎日野菜を育ていて、見るたけでもとても嬉しいです。会社の一番偉い人である会長は、私たちの働く職場や生活に気配りをしてくださっています。また、会社の方々から何度も手伝ってもらったことがあります。みんなさんの優しさは私のふるさとや家族を懐かしむ気持ちを慰めてくれます。

このように日本人の優しさは私の心に届いています。そして、こした優しさは世界中どこでも、だれでも触れることができるのではないでしょうか。優しさはなくならないのです。

(ヂィン ティ ザアン/協同組合イチヒロ/株式会社タオル美術館)

※2020年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、新たな取組みとして、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを始めました。ザアンさんの作品は最優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

日本への思いの旅

私はベトナムから来たラムと申します。

私は、今日まで、家族や友達、そして母国ベトナムを離れて日本に来た事を後悔していません。それは、日本にいる約2年半でたくさんの人たちと出会い、いろいろなことを学び、そしてたとえ夢で終わるかも知れませんが、これから歩む自分の道を見つけたからです。

私が日本に来た目的は、日本の生活を体験したいという思いからで、その手段として技能実習生になりました。日本については、子どもの頃から日本の漫画やアニメ、また日本が好きなベトナム人のSNSで知っていました。しかし実際に日本に来てみると、来る前に描いていにことと現実が違っていて驚いたことがたくさんありました。

しかし心の中で「とにかく今、私は、小さい頃からのあこがれの日本に来ているんだ。」と自分に言い聞かせ、現実を受けいれるようにしました。何故かって?それは、人生は短いですし、そんな自分の今の悪いことだけを考えていては時間はもったいないと思ったからです。だから、悲観的に考えるのではなく、逆に今の時間を大切にするためにもっと日本語を勉強しよう、そして自分が好きなアニメ「名探偵コナン」などに出てくる面白い日本語の意味をたくさん知りたいと思い直しました。例えば「お前に見せてやるよ、真実ってやつを。この世に解けない謎なんて塵一つもねぇってことをな。」とか「面白くなってきやがったぜ。いいだろう、受けて立ってやる!」とか「あハハ、蘭のことくらい、声聞きゃわかるさ。」など、かっこいい台詞ですねえ。

やがてこの実習期間を終えて日本と離れますが、私の「日本への思いの旅」は終わりません。これからもずっと日本語を勉強しています。私は現在、鋳物の鋳造技術を学んでいます。国に帰ったらこの技術を生かして、次は日本の金属加工会社で農業機械を製造する仕事に就きたいと思っています。まだまだ機械化が進んでいなベトナムの農業のために、安くて優れた農業機械を作ることが私の夢です。その夢に向かって、ぜひがんばりたいと思っています。

(ヴォ カイン ラム/製造産業技術協同組合/㈱豊和工業)

 

 

※2020年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、新たな取組みとして、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを始めました。ラムさんの作品は最優秀賞に選ばれたものです。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

 

私が実習生になった理由


私は19さいのヒエンです。ベトナムの中部から来ました。

毎年、8月から10月の間ベトナムの中部ではたいふうとすいがいが多くて、すいがいがきた後かちくやしょくぶつが全部水といっしょにながれてしまいます。兄弟は6人いて、私の下まだ4人います。自分は大学に行きたかったですがおやが大変なのでやめました。そして、私の妹はあたまがよくて、しょうらい医者になりたいです。妹にゆめをつづけて、大学に行かせたいし、おやに手伝いたいし、それで高校をそつぎょうして、すぐ近くにあるベトナムのかんづめ会社にしゅうしょくしました。

ちょうどしんせきが日本にあるかんづめ会社が実習生をぼしゅうしているとしょうかいしてくれました。よく考えたら、日本に行って日本語のべんきょうもできるし、今と同じ仕事だし、それにぎじゅつのべんきょうもできます。3年間おわってベトナムに帰ってもせいかつやしごとにやくにたつと思います。ですから、会社の社長とそうだんして、おうえんしていただきました。社長は「3年間がんばって、ぎじゅつをまなんで、きこくしたら必ずうちの会社にもどって、しごとしてね」と言いました。社長やかぞくにがっかりさせないように、もっとどりょくをださないといけないとおもいます。

ぎじゅつを学ぶために日本語をしっかりりかいしなければなりませんから、日本語をがんばっています。ベトナムでかんづめの仕事をしましたが、日本となにがちがうかしりたいです。ベトナムの社長は日本のこうじょうでほとんどぎかいがしてくれるので、人間の力があまりいらないと言いましたから、日本のぎじゅつがすごいと思って、そうぞうができないですから、はやくじっさいを自分の目で見たいです。前、えいがのなかだけ見たことがあります。そのぎじゅつをベトナムは日本とおなじようなぎじゅつをもってほしいです。そのため、かんづめだけじゃなくて、実習生の私たちはいろいろなしょくしゅで日本べんきょうに来ています。

(ファム ティ ヒエン/中四国経済交流事業協同組合/㈱中温)

※2020年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、新たな取組みとして、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを始めました。入賞された作品のうち、最優秀賞と優秀賞の7作品を順次紹介します。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

 

将来の夢


私はハインと言います。2年前日本に来ました。日本に来る前に将来のゆめはありませんでした。

日本に来て、初めてショックなことは生物を食べるしゅうかんでした。
ベトナムのきこうはあたたかいので生物をほかんしにくくて、すぐくさってしまいます。ですから、生物食べるとおなかが痛くなります。それで、生物を食べるしゅうかんがありません。ただし、日本の一番有名な食物はさしみやすしなのに、3年間住むつもりで食べない事はおかしいと思いました。一回でも食べてみようと思って、なんかいもかいてんすしに行って、なかなかこわい気持ちが残っていて、食べないで帰りました。

ある日、一緒に日本に来た友達とそうだんして、思い切って、行こうと言いながら衣山のかいてんすしに着きました。あたまの中「これは魚じゃないお肉だ」と考えて、サーモンを口に入れました。思ったこととぎゃくでした。おいしかったです。私たちはたくさんたのんで食べました。

あの時から、すしが好きになりました。今だれに日本の食べ物は何が一番好きかと聞かれたら、すぐ「すし」とへんじします。みんなさんがいつもびっくりします。

ベトナムで大きい町にあるおすし屋は日本人が作っているので、とても高いです。ですから、私たちが食べれません。お金がない人は一生でも食べるチャンスがないと思います。

それで、あたらしいゆめが出来ました。ベトナムに帰ったら仕事をつづけて日本りょうりのべんきょうをしたいです。そして、ふるさとで小さくて安い日本すし屋を作りたいです。作りたい理由はみんなに日本のおいしい食べ物をしょうかいしたいです。食べれないと思ったら食べれないと思います。食べてみないと分かりませんから、まず考えから変わってほしいです。食べ物だけじゃなくて、他のことも同じです。出来ないと思って、やってみないと、ずっと出来ません。

今から、ゆめがかなうために、いっしょうけんめい仕事して、ちょきんしています。そして週に一回すしを食べに行っています。すしの味やかたちを覚えておきます。自分で作り方も勉強しています。国へ帰ったら、まず家族に作ってあげます。将来きっと店を開きたいです。

(ドー ティ ミー ハイン/中四国経済交流事業協同組合/㈱中温)

 

 

※2020年度、愛媛県外国人技能実習生受入組合協議会では、新たな取組みとして、県内の技能実習生を対象とした日本語作文コンクールを始めました。入賞された作品のうち、最優秀賞と優秀賞の7作品を順次紹介します。
愛媛県中小企業団体中央会HP http://bp-ehime.or.jp/
なお、作品集は愛媛県国際交流協会でも閲覧することができます。

 

 

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