リレーコラム

リレーコラム

カリグラフィーワークショップを通して

ジョンヒさんの原稿をハングルで読みたい方はこちら(PDF)

こんにちは。私は韓国でカリグラフィー作家と工芸指導(LED電球を使ったフラワーデザインやリサイクル靴下の工芸など)をしているファン・ジョンヒと申します。大田(テジョン)広域市に住んでいます。

これまで、育児と職場、学校生活を並行しながら休まずに走ってきましたが、自分自身に「休息を与えたい!」という気持ちで、趣味を持つことにしました。そこで、かねてから興味を持っていたカリグラフィーを始めました。最初は趣味で始めたカリグラフィーでしたが、今は一番大好きなことになっています。

人生の喜び、悲しみ、楽しさなど、すべての感情を込めるカリグラフィーはまさに私自身のヒーリングであり、また、ほかの人のヒーリングにもなるとても素敵な仕事だと思っています。嬉しいことがある人にお祝いの言葉を、悲しいことがある人には慰労の言葉を、勇気を必要とする人に頑張れの言葉を、ありがたい人には感謝の言葉など、私の心の話と私の隣人の話など、すべての瞬間をカリグラフィーで表現できるので、私にとってはとても大事な作業であり、私が愛を与えることができる一番大きいことだと思います。

昨年、東京麻布十番にあるギャラリーで「ハングル、花咲く」を展示した後、韓国文化院に作品を寄贈しました。そのご縁で、愛媛大学で韓国語講師をしているチャン・ヨンスン先生から韓日交流会・「セモネモ」のワークショップの講師として愛媛県に来ることになりました。

実は私は日本語が一つも分かりません。独学で勉強しましたが、実際に現地(松山市)に着くと、一つも思い出すことができず、現地(松山市)の人の言葉が本当に速く感じられました。その時、外国人が「ゆっくり話してください。」と言う理由が、本当によく分かりました。すべてのものが不慣れで、ぎこちないものでしたが、韓国語を勉強している方々との出会いで、次第にリラックスして会話をすることができました。

初めて会った時、私は日本語ができないので、現地(松山市)の方々と観光することは難しいと思っていました。しかし、彼女たちはとても親切で、私がよく聞き取れるように、知っている単語を総動員して話してくださり、とても感動しました。また、事前に地域に対する情報や歴史などを調べておられ、丁寧に説明してくださったことで、観光地ごとの良さがよく理解できました。やがて、私たちは、観光しながら食事や写真を撮るうちに、最初のぎこちなさも消え、お互いに笑って楽しめる仲になりました。

彼女たちは韓国語を勉強していたので、お互いに共通点を探すため、色々な質問をしました。韓国語をなぜ習ったのか、趣味は何なのか、誰が好きなのか、その理由は何なのか…会話を交わすほど、もっと親しみが沸き、ぎこちなさが消え始めました。会話を通じて誰かについて一つ一つ知っていくごとに、人と人の間の壁がなくなり、近くなるように感じました。心の扉を開いて同じことを共有し、コミュニケーションが図れると、国と国籍、年齢を問わず友達になれることがとても幸せでした。

カリグラフィーワークショップを通じて「自分の感情と心を文章と道具を活用して表現すること。それがとても不思議で、楽しくて、幸せな作業だ。」と言われた時、講師として、ワークショップ司会者として、私の心が満たされるのを感じました。翌日ワークショップの参加者と出会った時も「家に帰る途中、道に落ちた木の葉っぱを拾って『この材料でカリグラフィーをするとどんな感じだろう?』と思ったのです。」という話を聞いて、とても嬉しかったです。また、ある参加者が「線描きの基礎過程を家で練習してみた。」と仰っていることを聞き、あらためて「これこそ、私自身がヒーリングを受けている。」という実感を得ることができました。

国と国籍、年齢に対する偏見をなくして、一つにまとまることができる作業は、これからすべての人々が幸せになるために大切なことではないでしょうか。私も、現状に甘んじることなく、もっと考え、研究して、より多くの人々が、易しくて面白く、一緒に幸せになれるプログラムを作りながら、それをみんなで共有できれば良いなと思っています。また、再び愛媛県に来る機会があれば、ぜひもっと多くの方にカリグラフィーを通して、ヒーリングを届けることができれば、と思っています。美しくて、静かで、ここにいるだけでも癒される愛媛。愛媛にいらっしゃる大好きな皆さんに、また会いに来たいです。

日本の研修で思ったこと

2019年の6月に日本にきてから、もう半年が過ぎました。本当に早かったです。「ブラジル愛媛県人会」に所属していた私は、愛媛県人会や、愛媛県庁のおかげで日本での研修の参加の許可をいただきました。

暑くてむし暑い夏に、1か月と10日間の日本語研修を頑張りましたが、三浦工業での研修の事を思うと、不安でいっぱいでした。でも、9月の上旬に会社の研修が始まると、そんな気持ちはすぐになくなりました。

今までいろいろな経験をさせていただきましたが、一番心に残っているのは、日本人の価値観と、文化です。

私の主な仕事はITと関係のあるもので、その一つはパソコンの設定の作業でした。ここで、日本語は面白いなぁ、と思いました。

例えば、設定作業を完了するために日本人の使用者の名前を入力しなければなりません。社員番号があれば名前の読み方を検索できますが、番号がない時は上司に「これは何と読みますか。」と伺います。

早口でわからないときは、今度はデータベースで検索します。

だいたい苗字は読みやすいのですが、名前の読み方は両親が好きなようにつけるのでいろいろある、だから難しい、と言われました。

ポルトガルの読み方は、だいたいそのままですが、日本語は、だからとても面白いと思いました。それで、親子は一生心がつながってくのだなと思います。

日本語から、英語、ポルトガル語への翻訳の仕事もさせていただきました。まず、日本語で書かれた文はわからないことが多かったので大変でしたが、まわりの方々に質問すると、みなさん、親切に説明してくださいます。どんなに忙しくても、質問するたびに助けてくださいます。素晴らしいです。いつも気持ちがあたたかくなり、ここにいてもいいんだと安心できます。私が「~で、もうしわけありません!」というと、「そんな言葉まで知っているの?」と笑いながら驚かれます。日本語の研修のおかげです。皆さんに親切にしていただくたびにまた頑張ろうという気落ちが湧いてくるのです。

日本の文化について、ほかにおもしろいと思ったのは、お正月の食べ物には、全部意味があることです。ある日、会社で先輩とお昼ご飯を食べながらお正月について話していました。その時に、お節料理というものは、それぞれが意味を持っていることを初めて聞いたのです。

これからは、鯛やレンコンや、かまぼこなどを食べるときにはいつもこの日の事を思い出すでしょう。意味があることを、ずっと子供や孫に伝えていく、深い文化だと思います。名前も、食べ物も、みんな意味があり、人の気持ちを深く考えて、親切にしたり、協力したり、それが日本人の価値観だな、と日本に来て初めてわかりました。

今、北条の工場まで通勤しているので大変ですが、会社の方々だけでなく、お世話になっている皆さんすべての方に感謝しながら、3月までもっと頑張りたいと思っています。

(北口カチア恵子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさん、こんにちは。
私の名前はクリスチャン イグナシオ アサトです。
愛媛県技術研修生としてアルゼンチンから来ました。今は、愛媛調理製菓専門学校で、日本料理を勉強しています。
アルゼンチンでは両親と姉(妹)と暮らしています。友だちを作るのが好きなので、ブエノスアイレスにはたくさんの友だちがいます。
プロの料理人として学校を卒業し、5年間政府機関で働きました。
松山の人はみんなとても親切で、街は美しく、とても閑静なところです。
将来の夢はいろいろありますが、アルゼンチンでシェフになること、何か自分の名を残せるようなことをしたいと願っています。

My name is Christian Asato, i am 23 years old. I come from Argentina where i live with my parents and my sister. I love making friends, so i have a lot of friends in Buenos Aires. I graduated as a professional cook and i worked in the national government for 5 years.I came to Matsuyama, Ehime because the Ehime Prefecture gave me the possibility to come and study japanese gastronomy as kenshusei.The people here in Matsuyama are very kind and the city is beautiful and a very quiet place.I have a lot of ideas on mind but my dream is became the best Chef in Argentina and leave a mark on my country.

 

 

 

愛媛へ・愛媛大学へ


樹底迷楼 画裏の人
金釵 酒を沽る 酔余の春う
鞭糸 車影 悤悤として去り
十里の桜花 十里の塵

 この漢詩を読むと、あの桜の大海原が私の脳裏で波を打ちます。
一年間の留学生活は、光陰矢の如くあっという間に終わりました。愛媛での一年間は、私はいままで人生のなかで一番美しい思い出のひとつです。
この一年間に愛媛のいちばんきれいな景色を見ることができました。そして優しい人々に出会いました。私にとってこれらはすべて宝物です。大切に守っていきたいです。
愛媛は、東京や大阪のように大都会ではありませんが、たいへん住みやすくて魅力がある都市です。ここには、坊ちゃんで知られた道後温泉、歴史長い松山城、きれいな瀬戸内海などがあります。さらに、山水画のような世代桃源の風景だけではなく、人々が本当に優しいのです。中国のことが好きで、中国の歴史をよく知り、中日友好のために人生の時間を割いている人々がいるのを、ここに住んで初めて知りました。
魅力的な都市にはいくつか要素があると思います。きれいな景色があって、優しい人々がいて、深い歴史文化があることです。愛媛はこの3つの要素が全て揃っていると思います。
日本の中でも特に環境が良く、人情味の豊かな愛媛との出会いは本当に運命的だと思います。この奇跡に心から感謝したいです。
愛媛大学の先生たちのおかげで、私は中国と日本の間の歴史、文化、政治、文学など、色々なことを学びました。私は将来、日本の歴史と文化にさらに興味を深めて、中日間の架橋になるような、そして中日友好に貢献できる翻訳者になりたいと思っています。
国際連携課のおかげで、私は色々な日本の伝統文化を体験しました。日本の魅力もより深く理解出来ました。国際交流を通じて、自分の日本語を向上させながら、世界のいろいろな国からの留学生と付き合うことができて、とても豊かな留学生活を過ごすことができました。私にとって愛媛は第二の故郷であり、愛媛大学は自分の第二の母校だと思っています。
授業のJサポートの方々のおかげで、私は四国の色々な美しいところを見に行きました。春の桜、夏の海、秋の紅葉、冬の雪、これらの四季の景色は、まるで映画のように私の心の中に残っています。
そしてまた、Jサポートの方々は、私が書いた文章を丁寧に添削してくれ、私はそこからいろいろなことを学びました。彼らはサポーターというよりも、友人です。
留学プログラムのおかげで、日本のビジネスマナーを学び、企業で働く社会人と方々との交流を通じて、自分がこれから社会人になって、日系企業で働く自信が持てました。
ホームステイの家庭のおかげで、日本人のふだんの生活を体験できました。家族と一緒に食事したり、遊んだり、自分も家族の一員になったみたいでした。海外で一人生活している私にとって、家族の温かさに触れるのは、かけがいのないものに感じました。
アルバイト先のお客様のおかげで、私は仕事に自信を持ちました。あるお客様は私にわざわざ感謝状を送ってくださいました。そして、店で私に会ったとき、いつもハイタッチしてくれました。このおじさんは「エビンさんのファンクラブ代表としてずっと応援します」って言ってくれ、私はこの温かい言葉に感動しました。
道に迷った時、全然知らない人でも熱心に道案内してくださったり、雨の日バスを降りる時、運転手さんが(お客様が濡れないように)ドアの側で傘を持ってあげたり、知らない人でも擦れ合うとやさしく挨拶したり、色々な小さなことが、一つ一つ私の心を温めました。
愛媛で出会った人々一人一人に感謝したいです。一草一木にも感謝したいです。愛媛で本当に楽しい生活を過ごしました。私は、まもなく母国に帰るので、少し寂しい気持ちになっています。

「夢に見て 母国を離れ 伊予の地へ 澄みたる人情 心に染みる」この短歌は、私のいまの気持ちです。1年間の滞在は短かすぎ、もっと色々なことを体験したかったですが、それでも、ここで過ごした日々のいい思い出は一生忘れがたいものになりました。
最後に、愛媛、愛媛大学と私の出会いは、単なる偶然ではなく“縁”だったと思います。今回の留学のチャンスを与えてくれた浙江工商大学と愛媛大学に心から感謝したいです。そしてこの大学間の交流がますます緊密になり、盛んになるようにお祈りいたします。
私は大橋卓弥の「ありとう」という歌を結び付けたいと思います。「優しい言葉 ぬくもり その笑顔 ずっと覚えてるよ そして忘れないよ 今 心からありがとう」今回の留学は一期一会ではありません。近い将来、私はきっとどこかで皆様と再会を果たすに違いないと思います。

(爱媛大学 法文学部(浙江工商大学 東方語言文化学院) 任慧敏)

 

 

わが故郷の川 ブンガワンソロ

トニさん

PDF原稿(ふりがながあります)

初めまして、私はトニ ウィボウォと申します。インドネシアの中部ジャワのスラゲンから来ました。

インドネシアでは多くの有名な川があります。例えばカリマンタンのカプアス川やソマトラノムシ川、ジャワのブンガワンソロ川などです。私は中部スラゲンに住んでいますから、ブンガワンソロという川についてお話ししたいと思います。

ブンガワンソロ川はジャワ島最大の川で、長さは600kmぐらいです。中部ジャワのウオノギリの山からジャワ東部のグレッシクまで続いています。ブンガワンとは「大きい」という意味です。ソロは、この川があるスラカルタ村の古い名前からきています。ブンガワンソロの川の歴史はとても古く、400万年前から流れていたと言われています。私はまだ生まれていませんが。

18世紀にこの川の辺りにマタラムという王朝文化が栄え、その首都がありました。やがてこの王朝が分裂してジョグジャカルタに1つ、ソロに2つの王朝が誕生しました。今でもこの2つの王宮は国の内外からの観光名所になっています。

実は、このブンガワンソロ川の名前がいちやく世界中に知られるようになったのは、ある歌がきっかけでした。それは、1940年にスラカルタのゲサンという歌手が作った「ブンガワンソロ」という曲です。この会場の皆さんの中にもよくご存知の方がいらっしゃるのではないでしょうか。このゲサンのお陰でブンガワンソロは世界中でとても有名になりました。日本では、1948年に日本人の女性の歌手によって初めて歌われ、当時大ヒットしたそうですね。この歌は、昔、山から銀などを採掘し、小舟で都市スラバヤまで運んでいた時の情景を歌ったものです。

ここで、私が少しだけ歌ってご紹介したいと思います。

※【歌詞の日本語訳】
「ソロ川には悠久の歴史があり 太古の昔から人々に
見つめ続けられてきた
乾季になると 水の流れは減り続け 少しの水しか流れず
雨季になると 水ははるか彼方まであふれかえる
ソロを水源とする川の流れよ 流れは幾千もの山を巡って
水は 遥か遠くまで流れいき ついには大海に注がれる
そこに見えるは 小さな舟 遥か昔から商人たちはいつも この小舟に乗って行き来していた」

今はもうこの曲を作ったゲサンは亡くなっていますが、彼はインドネシア人の心の中に今でもずっと生き続けています。今もなお、このブンガワンソロ川は、故郷の多くの農地を潤してくれており、トウモロコシやスイカ、米作りが盛んです。乾期になると水があまりありませんから、川の周りの住民は魚やエビを捕ります。また、牛やヤギを飼っている人々は川で水浴びをさせます。川の周りの子どもたちは泳いで遊びます。私も子どもの頃にはよく友だちといっしょに泳ぎました。本当に楽しい思い出です。私は、これからもこの歌と共にこの故郷の川を大切にしていきたいと思っています。

聴いていただいて、ありがとうございました。

(トニ ウィボウォ(インドネシア))

 

※平成30年12月16日には、丹原にほんごの会の主催による『第19回国際交流スピーチコンテスト』が行われました。
受賞された2名の方々の作品を順次掲載します。
たんばら日本語の会HP http://www.geocities.jp/tbrjpns/index.html

私の愛するベトナム

ジャンさん

PDF原稿(ふりがながあります)

こんにちは、みなさん。私はベトナムから来たジャンと申します。
タオル会社の実習生でございます。よろしくお願いします。

皆さんはベトナムという国について、どのような印象や考えをお持ちでしょうか。

私の国は、私の子どもの頃と比べても大きく経済成長をとげていて、最近では様々な外国から旅行客が来られて、多くの観光地もおいしい食べ物もよく知られるようになりました。

ですが、今日、私は、そのことより私がもっと誇りにしていることをお話ししたいと思います。それは、ベトナムの人たちのふだんの生活の中にある「優しさや思いやり」についてです。もし皆さんが2,3日だけの旅行だったら、はっきり感じ取ることはできないかもしれません。もう少し長くいていただいて、少しずつ感じていくものですから。

ベトナムでは、だれでも、いつでも、熱心に手伝い合います。もし困った人がいれば、その人が自分の家族でなくても、初めて会っただけの人でも手伝ってもらえます。

今から6年前、私の母が胸が突然苦しみ出して倒れたことがありました。父も私も遠くで働いていて、その時、家には中学生になったばかりの妹しかいませんでした。母の急病を知った近所の人たちがすぐにタクシーを呼んで、母を病院に連れて行ってくれました。そして、その人たちはすぐ帰れない家族の代わりに、2日間もずっと病院で母のそばにいてくれたのです。その近所の人たちのおかげで、母は健康を取り戻すことができました。本当に感謝してもしきれません。
このような人々の優しさは、実は、ベトナムではごく普通のことなんです。

(中略)

私たちにとっては、このようなことはごく当たり前のことだし、正常なことだと思います。ベトナムでは、思いやりや助け合うことは何よりも大切なことだと考えています。私は、このようなベトナム人の心をとても誇りに思います。

ですから、みなさん。できれば一度、ご自分で私の国ベトナムへ来て、実際にそこの人たちの心を感じてみませんか。

皆さんがいらしたら、私は皆さんを日本語でご案内いたします。

どうぞ、私の国へいらしてください。できれば1週間ほど。

ご静聴ありがとうございました。

(チィン ティ ジャン(ベトナム))

 

※平成30年12月16日には、丹原にほんごの会の主催による『第19回国際交流スピーチコンテスト』が行われました。
受賞された2名の方々の作品を順次掲載します。
たんばら日本語の会HP http://www.geocities.jp/tbrjpns/index.html

 

幸せを見つける道のり

グレスさん近影

PDF原稿(ふりがながあります)

誰もが成功したいと願っていますよね。でも、私はあなたに尋ねたい、あなたにとって大切なことは、幸せか成功か、どちらですか?

多くの人が成功を幸せに結びつけ、成功した場合にだけ幸せになれると考えがちです。誰だって幸せでハッピーでありたいと願うものなのに、現実にはそれがなかなか難しいですよね。でも、この日常の生活の中で幸せを感じることはできるはずなんです!

幸せかどうかを決めるのは、自分次第。他の誰にも、あなたを幸せにするパワーや義務なんてありません。でも普段、人はそれを忘れているのです。幸せとは、本来自分の内側から自然と沸き起こる感情であり、世間の評価や他人の価値観に縛られず、自分自身で幸せを見つけなければなりません。

誰だって失敗するのは好きじゃないし、カッコよくないと思っています。でもそうした経験こそが自分を鍛え、成長させてくれるということを、もうそろそろあなたも私も知っていいはず。ネガティブな経験を失敗で終わらせず、自分を変えていくためのきっかけとするのです。

あなたが過ごす毎日は、いい日よりも悪い日のほうが多い、なんて思っていませんか? 何をやってもうまくいかない「もう、今日は最悪だ!」という日を過ごしていても、途中で自分から笑顔になれる、そんな人は、幸せというものが自然に生まれてくるものではないということを知っているのです。

日本では「天から降ってくる」という言葉がありますが、幸せは天から降ってくる突然の出来事ではありませんし、宇宙からの贈り物でもありません。幸せとは、結果だけを見るのではなく、それに至るまでの道のりを選択することが大事なのです。

私は初めて日本に来た時、もちろん、さびしく感じたことがいっぱいありました。自分が生まれて住み慣れた国から遠く離れて、誰も知る人がいないこの新居浜に来た時、どうすればいいのか、本当にわかりませんでした。寂しいし、心細かった、国の家族や友達が恋しくてたまりませんでした。

高専で私が入った機械科のクラスは、女子が私を入れてたった二人で、彼女とは最初から仲良くなりましたが、その他のクラスメートには、挨拶をしても、返してもらえない時もありました。周囲の言葉を十分に理解することができないので、みんなと話をしたい、親しくなりたいのに、自分から話しかけることができず、ついつい消極的な態度をとっていました。教室に入って、彼女と席が離れると話し相手がなく、でもそう思われるのが恥ずかしくて、用もないのに携帯をいじったりしていました。しかし、このままではいけない、挨拶でも何でも、すぐに諦めてはいけない!と思い、自分から話しかけることはできなくても、明るく挨拶することを続けました。すると、クラスメートもだんだんと挨拶を返してくれるようになり、最近では、向こうから先に手を振りながら、全身で挨拶をしてくれるようにまでなりました。

そして、私はクラスで一番明るい男子に、勉強のわからない所を訊ね、教えてもらうようにしました。するとそこから友達の輪が広がり、全然別のクラスメートが私にわからないところを訊ねたり、勉強以外のいろいろなことも楽しく話せるようになりました。

私はいつも自分がハッピーでありたい。明るい笑顔で、元気な声で、こちらが気持ちのいい態度を続けていれば、いつか周りにも良い影響をおよぼすと思います。他の人のいいところを見つけて、真似して、また他の人が私のいいところを真似する、そんな輪が広がっていけばいいと思っています。

幸せは、天から降ってはこない、自分から引き寄せる努力をしなければならない、それも自分一人の幸せではなく、周りのみんなが幸せになれるために努力するのがいいと私は思います。不安に負けず、信念をもって頑張ることができれば、私はそれが幸せだと思います。

皆さんも、家族、恋人、自分の夢など、大切なことをぜひ見つけて、幸せに向かって努力して行きましょう!

(グレス・リュウ・フイ・リン (マレーシア))

 

※平成30年7月8日には、にいはま日本語の会の主催による『日本語学習者による第16回日本語スピーチコンテスト』が行われました。
受賞された4名の方々の作品を順次掲載します。なお、グレスさんは上級部門の2位に選ばれました。

捨てたらアカン

ルーカスさん

PDF原稿(ふりがながあります)

マリンパークの西側、みなさんが海水浴するビーチから少し離れているところに、小さくて静かな砂浜があるのをご存知ですか。よく晴れた日には、そこから西側に住友の工場群が見えます。夕暮れ時に浮かびあがるそのシルエットは本当にすばらしく幻想的です。波打ち際では、ヤドカリやカニなどの小さな生き物を探したり、散歩したりできます。のんびりと過ごせる、のどかな砂浜です。ぼくのお気に入りの場所、誰にも教えたくないちょっとした隠れ家のような場所です。

こんな素晴らしい砂浜を台無しにしているものがあります。それはゴミです。ゴミが多すぎるのです。ポカリスエットのペットボトル、ボスコーヒーの空き缶、コンビニ弁当のプラ容器など、挙げたらキリがありません。それらのゴミが砂浜に帯を作ったように打ち上げられ、満潮時に波がどこまであったか、はっきりわかります。ひどいです。

ぼくにはさっぱりわかりません。新居浜市のごみ分別辞典は23ページもあります。日本に初めて来たとき、このおそろしいほど細かいゴミの分別に本当におどろきました。アメリカではこんな分け方は考えられません。やっぱり日本ってすごいと感心したものでした。しかし、こんなにすばらしいシステムがあるのに、どうしてたくさんのゴミが落ちているのですか。それに、落ちているのはゴミだけではありません。なんとイヌやネコまで落ちています。

ぼくの妻は、先ほど初級Aの部で「みんなでノラネコをすくおう!」というスピーチをしたセレストですが、彼女は先日すてネコを三匹ひろいました。無責任に捨てられた、小さく無力な生き物を、見て見ぬふりはできません。ぼくがネコアレルギーなのに、ひろったのです。そして、自己負担で避妊手術をして里親を探しました。どうしてそこまでするのと不思議に思った方もいるでしょう。

生き物に対しても、物に対しても、僕たちには責任があります。なんでもかんでも自分勝手にポイポイと捨てたらダメなのです。自分勝手に捨てないという一人ひとりの責任感が、動物保護に、環境保護につながっていきます。一人でできることなんて、たかがしれているじゃないか。どうせ他の人が捨てるんじゃないか。そう思っている人もいるかもしれないですね。しかし、あきらめたらダメです。捨てたらアカン。あきらめたらアカン。

あきらめないで、ぼくたちはぼくたちにできることをひとつずつやっていきましょう。そして、一緒にぼくたちの愛する新居浜を、素敵な町にしていきましょう。

(ルーカス・ヘイクス(アメリカ))

 

※平成30年7月8日には、にいはま日本語の会の主催による『日本語学習者による第16回日本語スピーチコンテスト』が行われました。
受賞された4名の方々の作品を順次掲載します。なお、ルーカスさんは中級部門の1位に選ばれました。

音楽と一緒に みんなと一緒に

李さん

PDF原稿(ふりがながあります)

こんにちは。韓国から来ました イ スジン と申します。
私は日本に来る前、韓国で中学、高校の音楽教師をしていました。今日は去年の春の出来事を話したいと思います。

日本に来て4か月頃、私は娘と児童館へ遊びに行きました。そこにあるピアノを弾いていると、一人の女の人が部屋に入って来ました。それで、私はその方のために、韓国ドラマの曲を弾いてあげました。実はその方は、児童館の会長さんでした。会長さんは私に何か話をされましたが、私はまだ日本語がよくわからなかったので、主人に話を聞いてもらうことにしました。

後日、主人と会長さんが話した事は、5月に児童館でピアノ演奏会をしたいので、私にピアノを弾いてもらいたいということでした。私は何もわからず、にこにこしながら二人の話を聞いていました。後で主人から「ピアノ演奏がんばってね。」と言われ とても驚きました。その時、言葉のわからない私の目の前で大事な約束ができていたのです。韓国のことわざに「目をあけて鼻を切られる」というのがあります。日本語で「まんまとしてやられた」でしょうか。まさにそんな気分でした。

演奏会は無事に終わりました。言葉がわからなくても、みんなが一緒になれる時間がありました。私にもみなさんのためにできる事があり、うれしい気持ちになりました。
最後に、これから帰国するまでの間、家族と一緒に優しい町の人たちと大切な思い出をたくさん作りたいと思っています。

(李 受津(韓国))

 

※平成30年7月8日には、にいはま日本語の会の主催による『日本語学習者による第16回日本語スピーチコンテスト』が行われました。
受賞された4名の方々の作品を順次掲載します。なお、李さんは初級B部門の1位に選ばれました。

 

TNR:みんなでノラネコをすくおう!

セレストさん

PDF原稿(ふりがながあります)

わたしは、ネコが大すきです。この前、滝宮公園ですてネコを見つけました。三匹です。かわいい!!!みかん、うめ、かきと名前をつけました。でも、アパートでは飼えません。里親をさがすことにしました。時間もお金もエネルギーもたくさんいりましたが、やさしい里親がみつかりました。めでたし、めでたし。しかし、こんな幸せな話ばかりではありません。みなさんは、ノラネコが、毎日たくさん殺処分されていることを知っていますか。

ノラネコを救う一番いい方法は、TNRです。TはTrap、わなでネコをつかまえて、NはNeuter、避妊手術をして、RはReturn、もとに戻します。一匹のすてネコは、一生で100匹もノラネコをうみます。ものすごい数だと思いませんか。

里親を探しているとき、動物病院で、いろんな検査や手術をしました。3匹のために9万円もかかりました。全部私が払いました。新居浜にも動物保護団体があります。しかし、費用や手間は、全部ボランティア、個人の善意です。もっと新居浜市のサポートが必要です。この会場のだれかが私の話を聞いて、協力してくださるとうれしいです。一緒に動物たちの命を守っていきましょう。

(セレスト・バーカー(アメリカ))

 

※平成30年7月8日には、にいはま日本語の会の主催による『日本語学習者による第16回日本語スピーチコンテスト』が行われました。
受賞された4名の方々の作品を順次掲載します。なお、セレストさんは初級A部門の1位に選ばれました。

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