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イベントレポート
   皆さんからのイベントリポートの投稿お待ちしています。主催者・参加者を問わず、info@epic.or.jpまで、どしどしご投稿ください。

しばらくの間は昨年配信した『EPICめるまが』から抜粋したイベントレポートを掲載します。

■平成23年度「えひめ海外移住者交流促進事業」報告レポート
2012/03/27
 
 12月20日、南米パラグアイから、パラグアイ愛媛県人会会長の窪前勇氏が、財団法人愛媛県国際交流協会主催の「えひめ海外移住者交流促進事業」による補助を受けて里帰りされ、報告書を提出していただきましたので、掲載させていただきます。
 窪前さんは西予市野村町のご出身で、なんと中学生の時に自ら移住を決断されたとのことで、今回の報告書ではそういった経緯についても触れていただいております。



○窪前 勇さん  報告書

  私は、1960年に愛媛県の西予市野村町から、南米のパラグアイに移住した窪前勇と申します。当時、私は14歳で、ちょうど中学3年生の夏でした。
 なぜ、パラグアイに移住することになったかと言いますと、中学2年の頃にさかのぼります。
 日本で私の家は百姓でした。中学2年の始めころから、自分の将来について考えるようになりました。高校には行きたくない。では高校に行かないなら何をするか。一生、鎌と鍬の百姓はやりたくない。この頃は、中学を卒業したばかりの若者は何も言わず働くので、「金の卵」と、もてはやされていましたが、会社に入っても学歴がないので出世は見込めないから、面白くない。ずっと悩んでいました。
 そんな時、中学2年の中頃だったと思いますが、県から宮崎さんという方が、南米の話をしに見えるらしいと聞き、私は当時、まだガキでしたが、公会堂にその話を聞きに行きました。
 その人は、「南米のパラグアイという国が移住者を受け入れている。自分はパラグアイは見ていないが、ブラジルには行ってきた。隣の国だから似たようなものだろう。」と言いながら、スライドを見せてもらいました。
 この時、おっぱいがこぼれそうな金髪の女の人が、大型トラクターで畑を耕起しているスライドを見て、「これだ」と思いました。農業をするなら南米に行って、大型機械化農業しかないと思い、両親を説得し、その後もいろいろありましたが、パラグアイに着きました。
 その時見たパラグアイの光景は、山、山、山、原始林の真っ只中で、これは大型機械化農業どころではないと思いました。しかし、一家の言い出しっぺでもあり、14歳ではありましたが、現地の大きな斧を振り、穀物袋を毎晩担ぎ、必要に駆られて大工作業もし、ありとあらゆる仕事をしました。木挽きも弟と二人でやり、その後、丸鋸製材でアメリカ向けの家具用材なども挽き、また、材木の販売もやりました。これは、山から材木を切り出して、トラクターでトラックの積込みができるところまで出し、トラックで製材所に売りに行きました。
 こうして、少しずつ畑を作っていき、今、大型機械化農業といえる農業形態にたどり着きました。最新式のコンバインは一日に50ヘクタールくらい収穫します。やっと念願がかない、振り返ってみると65歳でした。目も悪い、頭も脳血栓もどき。酒を飲み、肉を食べ、めちゃくちゃしてきた報いです。
 そこで、昨年10月に糖尿病網膜症の治療もかねて、愛媛県に里帰りすることにしました。
 東京で目の治療を終えて、12月22日に愛媛・松山の姉の家に行き、翌日、愛媛県国際交流センターを訪問しました。国際交流センターでは、愛媛県国際交流協会の森本専務理事や愛媛県海外協会の井上会長に会わせていただき、愛媛県庁では高浜副知事にお会いでき、大変、嬉しく思いました。また、いつも電話やメールなどでやりとりしている愛媛県や国際交流協会の担当者の方にも会うことができ、本当に良かったです。
 今回、愛媛に行き感じた事は、NHKドラマ「坂の上の雲」のおかげか、秋山兄弟の生家跡整備、坊ちゃん球場、競輪場など、愛媛県がとても元気な印象を受け、感激しました。郷里の野村町にも行ってきましたが、亡くなられた人、病気で動けなくなった人、51年間の月日の流れを感じさせられました。愛媛には3日間の滞在でしたが、また機会があれば帰ってみたいと思います。
 私事ばかり書きまして、報告らしからぬ文章になりましたが、私共夫婦のために、色々とお世話していただき、重ね重ね、ありがとうございました。

     全パ愛媛県人会 会長 窪前 勇 

 ※ 報告内容に含まれる個人名等を一部省略させていたきました。

■平成23年度「えひめ海外移住者交流促進事業」報告レポート
2011/10/14
愛媛県庁本館前にて 
 9月26日、遠く南米パラグアイから、愛媛県出身の移住者の方々が財団法人愛媛県国際交流協会主催の「えひめ海外移住者交流促進事業」による補助を受けて里帰りされました。
 四国中央市の旧土居町関川村ご出身の真鍋美代子さん、小松八千代さんの親子です。
 お二人から里帰りの報告書をいただいておりますので、掲載させていただきます。


○真鍋 美代子さん 報告書

 このたびは財団法人愛媛県国際交流協会からの里帰り支援にて、親族の住む松山や、ふるさとである土居町へも行くことが出来、本当に嬉しく心より感謝申し上げます。
 中村県知事への表敬訪問をさせていただき、優しいお言葉に感激いたしました。その上に県名産のお土産もいただき嬉しい限りです。
 また、愛媛県海外協会のご案内で、名所見物や歓迎会もしていただき、歓迎会には土居町関川村のご出身の県会議員もご臨席してくださり、なつかしくて村の近況を色々お伺いできました。
 県知事はじめ、皆様の開放的で明るい人情につつまれて、老体ですが元気が湧いてきました。
 パラグアイ移住地も現在では牧場や大豆の生産、小麦の製粉工場もあり、皆さんが頑張っていますので、愛媛県の皆様に是非お越しいただけると信じて心待ちしております。故郷のますますの発展をお祈り致します。
 この喜びをパラグアイの皆さんにお伝えして、これからも愛媛県との交流をいつまでも続けたいと思いますので、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。


○小松 八千代さん 報告書

 9月26日、財団法人愛媛県国際交流協会の御協力で、故郷愛媛県に里帰りさせていただきました。
 県庁にて中村県知事を表敬訪問させていただき、県知事よりあたたかいお言葉をいただいたこと感動いたしております。
 また、海外協会の皆さんのお世話で松山の名所観光もさせていただき、郷土料理も満喫する事ができたうえ、盛大な歓迎会をしていただき、母共々感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 歓迎会には同郷出身の県会議員や青年海外協力隊員OG、南米からの研修生の方も出席してくださり、故郷と南米の話しが飛び交い、一気に故郷愛媛と南米パラグアイが近くなったような気が致しました。
 10月1日には懐かしい故郷、土居町にも帰ることが出来ました。本当に有意義な一週間を過ごさせていただきました。
 今後も郷土愛媛との交流に尽力させて頂く所存でございます。
この度は誠にありがとうございました。

※報告内容に含まれる個人名等を一部省略させていたきました。

■平成20年度「えひめ海外移住者交流促進事業」報告レポート3
2009/04/18
 
奨学生として日本に滞在してから10年経過し、また日本に戻る事が出来たのは私の人生で最も素晴らしい事の一つでした。奨学金を頂いて松山に滞在し私の人生は変わりました。そしてもう一度この地に戻るという事は私の強い希望でした。最初の滞在で私の日本の家族に会い、勉強し、学び、仕事をし、そしてたくさんの友達を作りました。今回の滞在では前回に知り合ったすべての親愛なる人々に再会し、そして日本とその文化への理解をさらに深めることが出来、ますます日本が好きになりました。

私は母とたくさんの親せきを訪問しました。最初に松山の市街地にあるレストランにて行われた夕食会に招待され、アルゼンチンで3年前に亡くなった私の祖母の甥や姪に会いました。おいしいお食事と共に、写真や家族の歴史について話し、家系図を見ながらお互いを確認し合いました。

そしておばさんの家を訪ね大変おいしいちゃんこをごちそうになりました。それからおじさんの家族と一緒にレストランで夕食をとりました。とてもうれしかったのは南海放送の同僚や友人に再会できたことです。その内の何人かは連絡がとれなくなってしまっていたので会えて本当に良かったです。最後に会ってから10年経っているとは信じられませんでした。見た目も変わらなければ、その友情もまた変わりなきものでした。しかし時の経過を意識させる事として子供達がいました。ほとんどすべての友人が結婚していて2歳から9歳の子供がいました。親となった友人を見ること、特に男友達が子供や奥さんに愛情を注いでいる姿を見るのは大きな喜びでした。若い世代の日本人は私の祖父母とは大きく違っていることは間違いありません。南海放送での私の上司と私の友人のカメラマンとでテレビ局を訪問しました。デジタルテレビの新しい機材を見学し、かつて共に働いていた新聞記者たちに会いました。

そしてカラオケなどが出来て少し変わったが、10年前よりも落ち着いた雰囲気の市内の見学もしました。愛媛県庁や松山市の人々に会うことが出来たのも素晴らしい事でした。前回の滞在で一緒になった奨学生に加え、私がアルゼンチンの愛媛県人会会長を5年間務めた時に連絡をとりあっていた人々と一緒でした。それから本年度の奨学生と、つい最近松山市の青年と結婚して現在松山に住んでいる去年の奨学生に会いました。みんなとのお別れは楽しくもあり悲しくもありました。15の家族と友達が送別会に来てくれました。次回またいつ会えるかわからないという悲しみはお別れの際に見せてくれたみんなの笑顔のおかげで少しやわらぎ、そして近い将来の再会を約束しました。

松山市の次に私は母と祖父の故郷である福岡に行きました。現在建築学の奨学生として一年間福岡に滞在することになっている弟を訪ねました。それに加え私の中村の家族が住んでいる玄界島に行きました。私の祖父の親戚に会い大変な歓迎を受けました。私たちに帰って欲しくないような様子でした。次にアルゼンチンに帰る前に私の祖母の親せきで東京に住んでいる人々を訪ねました。

この二つの奨学金を与えてくださった愛媛県にお礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございます。お陰で私は私の家族や友達に出会い素晴らしい関係を築く事が出来ました。家族の数が増えるたびにお互いの距離は縮まる気がします。私が経験したようなこの素晴らしい出来事に出会うチャンスが次に続く奨学生にもあるように願っています。私の第二の祖国である日本にもう一度来る機会を与えて下さって本当にありがとうございました。

在亜愛媛県人会 中村カプランアリ
※報告内容に含まれる個人名等を一部省略させていたきました。

■平成20年度「えひめ海外移住者交流促進事業」報告レポート2
2009/04/18
 
このありがたい制度のおかげを受けて、先祖、兄姉の墓参りやまた、久しく会っていなかった友人等にも会えてとても嬉しく思っています。たった一人残っている姉も喜んでくれました。これも皆様の温かい対応、心遣いがあったからこそと、心より感謝しています。

在亜愛媛県人会 大野 悦子

■平成20年度「えひめ海外移住者交流促進事業」報告レポート
2009/04/18
 
松山に到着した明くる日、従兄が従兄妹達を集めて食事会でお持てなしして頂きました。アルゼンチンには私の両親と兄しかいなかったので、ここで多くの親戚に会う事ができてとても嬉しかったです。従兄妹達に会い、私の祖父・祖母の人生について色々と知る事が出来てとても良かったです。話が弾むなか、私と従兄妹達にはタンゴ、サルサ、話すことが好きといった共通点がある事が分かり感動しました。

従妹は晩御飯に誘ってくれました。着物を買おうとお勧めの着物店をたずねたら、明くる日、着物と風呂敷を何枚かプレゼントしてくれて、本当に嬉しかったです。そして着物の生地を使って作る洋服の雑誌も頂きました。とても楽しい時間を共に過ごしました。

従兄の娘と一緒に内子町へ行きました。ここでは1920年代の暮らしの様子が再現された商いと暮らし博物館に連れて行ってくれました。人形が話をするのでとても面白かったです。

また、松山では息子の同僚達と知り合うことができました。彼自身も10年ぶりの再会でした。結婚している人もいれば、子供がいる人もいました。みんな私たちをこころよく迎えてくれました。私たちを何度か食事に招待してくれました。ある晩、アルゼンチン料理店に行きました。ここのオーナーは日系2世で、彼女の母は松山出身・父は私の父と同じく福岡出身でした。彼女は早速お父さんに電話を掛けて話してみると、彼女のお父さんは私の父の事をご存知でした。

EPICの補助金のおかげで父側の親戚、玄海島の従姉弟達に初めて会うことができました。"マツリ"という82歳の従姉にも出会えました。「面白い名前ですね。」と彼女に言ったら、小さい頃はよくからかわれたと言っていました。でも今は年をとったので気にしていないようです。82歳であるにも関らず島を一緒に一周しました。小さな島なので40分で回る事が出来ました。玄海島で船から降りる際、切付の提示を求めた女性が私たちの髪を見て、「中村さんの髮ですね。カールになっている。」と言いました。実はこの女性、私の従妹であった事が後ほど分かりました。

横浜では姪と一緒に舞踏研究所のレッスンを観に行きました。東京では大駱駝鑑(だいらくだかん)を結成した麿赤兒(まろあかじ)の公演に行きました。舞踏という全英的な踊りを若い人と中高年の人たちが一緒に楽しんでいる姿はとても興味深いものでした。従姉とその娘が最後に色々な寿司屋へ食べに連れて行ってくれました。日本の味を楽しむ事が出来て嬉しかったです。

従兄妹達に頂いた着物をアルゼンチンの友人達が初めて手にしたら、あまりもの美しさに見とれてしまっていました。このような形で日本の美しさをアルゼンチンの人たちと共感する事ができて本当に良かったと思います。この様な機会を与えてくれたEPICを始めとする愛媛県の方々に心から感謝しています。

この様な機会を頂き、誠に有り難うございます。10月に70才の誕生日を迎える私にとっては最後の日本訪問であったと思います。

在亜愛媛県人会 中村 宏子
※報告内容に含まれる個人名等を一部省略させていたきました。

■在県外国人による地域国際交流活動助成事業
2006/12/06
 
EPICでは、県内に在住する外国人が主体となって行う国際交流・協力・支援活動を通じて、地域の活性化を目指す活動に対して助成金を交付しています。今年度の受付は終了しましたが、活動を終了した2団体の活動をご紹介します。

「中秋節料理大会」(愛媛県中国人留学生学友会)
愛媛県中国人留学生学友会は愛媛に在学する中国人留学生の民間団体です。留学生間の交流、生活・勉学上の助け合いの促進、日中友好団体・企業、日本人との友好、在日華僑等との交流を通じ、未来に向けて中日両国の国民間での友好関係を発展させることを目的とし、新入留学生の歓迎会や春節交流パーティのほかに、日本の社会・伝統文化、自然風土への相互理解を深める交流活動も行っています。
今回、同団体ではEPICの助成を受け、10月7日(土)松山市男女共同参画推進センター(COMS)にて中秋節(陰暦の8月15日)にちなんだ交流会「中秋節料理大会」を実施しました。10月に来日したばかりの留学生も加わり、参加者総勢60名で餃子づくりの腕を競い合いました。各チームに分かれて、日本人参加者も留学生たちと一緒に小麦粉からつくる餃子の皮や、具材となる本格「あん」づくりに挑戦!餃子のほかにも、留学生たちが腕をふるった自慢料理が次々に登場し、会場はますます盛り上がります。そして出来上がった餃子を全員で試食したところ…手際の良さ、餃子の旨さ、チームワークの良さにみごと東雲大学留学生チームが優勝!会場からは大きな拍手が送られました。
その後も各チームでは協力して作った料理に舌鼓を打ちながら、中秋節の話、家族の話、愛媛に来日してからの話…と話題が尽きず、参加者からは「大成功でした」、「もっと交流や会話を楽しむ時間を設けて」、「次回も必ず実施して欲しい」との感想が次々と寄せられました。
日本と中国の伝統文化・習慣等の相互理解を深めるだけでなく、留学生同士が助け合えるような顔が見える交流の機会も設けたい、同団体では今後も様々な活動を実施していく予定です。

☆愛媛県中国人留学生学友会ホームページ(「中秋節料理大会」の様子もご覧いただけます)
http://www.liuri.com/ehime/


「アフリカのいぶきを感じよう!第2回『アフリカンナイト&アフリカ料理を作ってみよう』」
(ザンビアこども基金)
ザンビアこども基金は、将来ザンビアに学校や職業訓練施設を備えた孤児院を設立することをめざし、ザンビア・べセル孤児院に対する援助活動や孤児の学費援助、絵や手紙を交えた里親制度を実施しています。今回の活動は、9月3日(日)に実施した「アフリカのいぶきを感じよう!『アフリカ体感ひろば&コンサート』で出会った県内在住のアフリカ人家族等を講師に招き、アフリカ各国の自慢料理を参加者とともに調理することで、食文化を含めた日常生活の特色について理解を深めるものです。また、今回の会場は人里離れ、電波も届かぬ山の中…娯楽の少ないアフリカの夜の過ごし方をイメージしながら、歌やダンス等を通じてアフリカンナイトを疑似体験する試みも盛り込まれていました。
交流会は10月21日(土)〜22日(日)の1泊2日で新居浜市・別子銅山の里自然の家で行われ、小さな子ども連れの参加や遠く松山・今治からの参加があり、総勢約30名でのアフリカンナイトが始まりました。
まず、参加者全員で作る野外料理はケニアのウガリ(とうもろこしの粉で作ったアフリカ共通の主食)、ザンビアの家庭料理「豆サラダ」、コンゴの「スパイシーフィッシュ」、ラマダンの時にしか食べられないイスラムのお菓子「アターエフ」、ケニア・タンザニアからは日本でいうカレーの「ムチュズィ」、ご飯の代わりになる「チャパティ」…参加者の多く方々にとっては、どれも初めて見るもの食べるもの。レシピを見ながら完成した料理を口にしてみると、意外なほど日本で普段食べている味付けと似ています。「自然の中で食べる味はまた格別!」、「中国のおまんじゅうみたい」と喜びや驚きの声があがりました。
料理後は、アフリカンダンスだけでなく、ヒップホップやフラダンスまで楽しむ機会が設けられましたが、予想以上の盛り上がりを見せたのは自己紹介の時間でした。自己紹介を他国語で行うことにより、日本人がアラブ語を披露したり、アフリカ人が日本語で通訳したり。約10カ国語が飛び出す自己紹介に「アフリカ人も人間としては日本人と変わらない」、「色々な国の言語に触れて新鮮だった」、「国際交流って一方的な英会話の勉強ではなく、こんな有意義な時間のことではないかと思った」との感想が数多く寄せられました。また、今回の活動はアフリカンファミリーにとっても、日本人との交流、在県アフリカ人との交流、そして新居浜銅山等、愛媛の歴史や文化に触れることができるものとなったようです。
本来の主旨の一つであるアフリカ料理に対する考察や講義、ワークショップが時間的に余裕が持てず、残念な部分はありましたが、これを機に他の国際交流イベントへの参加要望があり、同団体では今後も色々な切り口での企画・活動が広がるものと期待されます。

☆ザンビアこども基金ホームページ
http://www.geocities.jp/zambiachildfundeb/


いかがでしたか?今月12日(日)には同じく「在県外国人による地域国際交流活動助成金」を受けて、チャリティー・ボーリング(マブハイ・フィリピンズ)が実施されました。(活動の様子については後日ご紹介させていただきます。)県内にお住まいの外国人の方で、今後、地域で自主的に国際交流活動等を実施したいという方がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽にお問い合わせください。

■えひめ日本語教室助成事業 「外国人のための日本語教室」
2006/11/09
 
EPICでは、在住外国人に日本語学習の機会を提供する「日本語教室」の運営に、助成金を交付しています。今年度は1個人3団体がこの助成対象として活動していますが、EPICでは各個人・団体の取り組みや実際の授業の様子を視察し、その内容を数回にわけてお伝えします。

今回は、松山市で実施している「外国人のための日本語教室」にお伺いしました。「外国人のための日本語教室」は、毎週金曜日、13時から松山市番町福祉センターで実施しています。この日本語教室では、「日本語力の向上」という技能を身に付けるだけを目的にしたものではなく、コミュニケーションを図り、交流するためにことばを学ぶという、多文化共生社会構築の重要性を視野に入れた指導を行っています。お伺いした日は12〜13人の在住外国人の方々が、習熟の段階ごとに4つのクラスに分かれて日本語の授業を受けていました。(この夏までは20人前後の参加者がいらっしゃったそうですが、現在は帰国された方が多く、生徒の入れ替わりの時期のようです)生徒の出身は中国、韓国、インドネシア、セントルシア…と様々で、皆さん熱心に、そして楽しく日本語を学んでいらっしゃいました。あるクラスでは「今朝、何時に起きましたか?」、「昨日、何時に寝ましたか?」という会話を中心にしたロールプレイングや、「外見と中身」について書かれた文章を読み、内容の解釈や理解、そして自分の考えを述べる授業が行われていました。いずれのクラスも真剣で、笑いが絶えません。参加されている生徒と先生にインタビューをしました。
(生徒)
Q:お名前は? A:相です。
          B:アスティスです。
Q:お国は?   A:中国の西安です。
          B:インドネシア・ボルネオ島です。
Q:いつから日本語を勉強していますか?
A:今年1月からです。1週間に2回勉強しています。
          B:今年2月からです。最初は1週間に1回でしたが、今は週に4回です。
Q:きっかけは何ですか?
          A:日本語はとても面白い。けど、難しい。
          B:結婚です。日本語を話したいと思ったからです。
Q:「話す・聞く・読む・書く」この中で一番勉強したいのはどれですか?
          A:話す。
          B:話す。言っていることは分かるから。
Q:日本語を勉強するために努力していることは?
          A:んんん〜・・・(苦笑)・・・特にありません。
          B:日本語のクラスがあるところには、どこでも参加すること!
Q:目標はありますか。
          A:「話す」ことを上手にしたい。
B:日本人と日本語を上手に話したいです。
Q:日本語の授業はいかがですか?何か要望はありますか?
          A:部屋は広い方がいいかな。でもとても楽しいです。
          B:先生と友達が親切で、楽しいです。1週間に5回授業が欲しい!
(先生)
Q:お名前は? A:天野です。
Q:ご出身は? A:松山です。
Q:いつから日本語を教えていますか? A:去年からです。
Q:きっかけは何ですか?
A:日本語ネットワークで日本語教師養成講座を受講していて・・・それからですね。
Q:日本語を教えるにあたり、努力していることは?
          A:勉強を欠かさないことです。生徒にも長く続けて欲しいですから。

限られた時間での視察&インタビューでしたが、先生をはじめ生徒の方々には快くご協力いただきました。日本語能力試験に臨む人、日常会話を重点とする人、来日したばかりの人など、学習者側のニーズはますます多様化していますが、日本語学習を希望する外国人にできるだけ広く門戸を開けている姿勢が印象的でした。

在住外国人が増加する中、在住外国人に日本語学習の機会を提供する「日本語教室」や「日本語ボランティア」は、その橋渡しをしていく存在としてますます重要性が高まっています。日本語学習支援のみならず、EPICでは地域における共生社会づくりを促進するための各種事業を実施しております。お気軽にお問合せください。

☆外国人のための日本語教室
【料金】無料 【場所】松山市番町福祉センター
【日時】毎週金曜・・・初級者/13:30-15:00 中級者/13:30-15:00
日本語能力試験1・2級対策クラス/15:00-16:30 留学試験対策クラス/15:00-16:30
【形式】グループレッスン 【TEL/FAX】 089-971-4490(高瀬) 【E-mail】i-takase@nifty.com

☆そのほか県内の日本語教室情報
http://www.epic.or.jp/zaiken/school.html

■イベントレポート(8月11日・12日 第2回 国際協力人材育成講座)
2005/08/23
 
夏本番の8月11日・12日に第2回国際協力人材育成講座を開催しました。中学生や留学生、社会人、県内のみならず名古屋からの参加があり、総勢22名が愛媛大学米野々森林研究センターに集まりました。
既に第1回目(7月28日実施)には県内の国際交流・協力活動についての紹介があり、大学や市町、県、NGO、EPIC等それぞれの役割や課題、取り組みについて事例紹介を行った上で今回の第2回目を迎えることとなりましたが、とにかくここは緑と緑と緑…に囲まれた、冷房要らず、電波届かず、1日バス3本の好立地!腰を据えて話すにはうってつけの場所なのです。

1日目は愛媛大学農学部附属演習林助手・小林さんをファシリテーターに、日頃抱えている課題や国際理解について参加者から多数の意見が寄せられました。言語理解と異文化理解の相互作用、日本人の歴史認識と自分の位置付け、多様性の中の統合、感覚の育成、本質を探ること…もちろん各人の立場も課題もバラバラでしたが、どれも重要なものでした。ワークショップのふりかえりでは、再びこれまでカテゴライズされていた「国際」や「環境」、「福祉」を見つめなおした時、枠組みに縛られるのではなく共通認識を持つこと、等身大の自分を認識することが様々な課題解決に繋がるのではないかという、今後の課題改善・解決策へのヒントを得たように思います。白熱した議論はそのまま竹炭バーベキューへと持ち越され、深い闇と静けさの中で存分に語り、笑いあいながら、程よい一体感に包まれた1日となりました。

2日目は再び小林さんから森林と水をテーマに地球規模的環境問題の関係やエコロジカルフットプリントについて考えました。(エコロジカルフットプリントとは、食糧や木材の供給、森林による二酸化炭素の吸収など、一人の人間が生活するために必要な面積のこと。日本の場合は必要とされる面積の約6.7倍の過剰利用している状態なんですって!)山の境界線や国内の木材自給率、石油に代表される水や森林資源と経済活動、公衆衛生や飲み水の問題、そして森林資源をめぐる紛争や平和、人権問題…森林から派生した生態系や人間社会へとの係わり合いに触れ、1日目に議論した「枠組みにしばられない」一つ一つの関係性について思いを馳せた時間でした。それにしても生態系を保護し、森林を保全するために移民を余儀なくされる事態が起こっているとは露知らず、目から鱗のお話ばかりでした。

このあとは、グループディスカッションを行い、モザンビーク支援プロジェクトにおける地域の技術・開発協力の可能性、東ティモールのコーヒー農園におけるコーヒーの花を利用した養蜂の技術移転、協働イベントの実施・グループ運営に対する意識改革などの事業提案が個別発表されました。どのグループの提案も課題を真摯に受け止め、日本語・英語入り乱れての質疑応答の一言一句にも熱が込められており、まだまだ話し足りない!という名残惜しさを胸に2日間の講座があっという間に終了しました。

今回の「国際協力人材育成講座」は地元NGOのえひめグローバルネットワークに業務委託して運営されていますが、中学生や高校生、大学生などの比較的若い世代からの参加が多く、それぞれの意識が高いことに大変驚きました。また、個人的にはインドネシアの留学生の方の「インドネシア沖での津波後にNGOをはじめとする援助物資が次々と運ばれる様子を見たが、それが国際協力と関わっていることを住民が理解していない。」という意見にもハッとさせられました。現場のニーズや実情に耳を傾けた行動であっても互いの共通認識がなければ課題は解決しない。このことは今後の市民団体や関係機関と連携した事業や取り組みにも生かしていかねばと強く感じた次第です。

これらを締めくくる連続講座の集大成「第3回 国際協力人材育成講座」のキーワードは「協働」と「連携」です。それぞれの立場や課題、思惑が絡み合う中で一体どのような「協働」が実現可能なのかを一緒に考えたいと思います。第3回目の講座は9月19日(月・祝日)です。ぜひ皆さんふるってご参加ください。

■第6回 ハワイミニセミナーを開催しました!
2004/12/21
 
2004年12月18日に、第6回目になるハワイセミナーを開催しました。講師は、小松町で英語を教えられているハワイ出身のステイシー・ヤナガワさんでした。当日は、残念なことに雨でしたが、23名の方が来てくださいました。ステイシーさんは、5歳にときにご家族とハワイに引っ越しされ、高校卒業するまでハワイのオワフ島で過ごされたたそうです。セミナーでは、ステイシーさんのハワイの写真を見せていただきました。特に、ハワイらしさが出ていたのは、卒業式の写真です。ステイシーさんの顔が半分以上隠れるほどのものすごい数のレイをステイシーさんが首にかけていました。その数、およそ30個。ハワイでは、高校の卒業式に友達や両親、親戚、そして先生からレイをプレゼントされるそうです。花で作った定番のレイもあれば、キャンディで作ったレイ、そしてお金で作ったレイまであるそうです。今回のセミナーのテーマはハワイで話されるピジョン英語とハワイのクリスマスでした。ハワイでの公用語は、英語とハワイ語ですが、それ以外にハワイピジョン英語と言われる、方言のようなものがあります。愛媛の人たちが、愛媛を離れて暮らす中で、愛媛弁を聞いたときに親しみを覚えるように、ステイシーさんも、ピジョン英語を聞くとハワイの事を懐かしく思い出すそうです。

*ハワイピジョン英語*
まず、「Howzit?」(ハウジッ)=(最近、どう?)です。私達は、ハワイでは人に会った時の挨拶は、「Aloha」だと思っています。ステイシーさんによると、現地の人は、「Aloha」ではなく「Howzit?」を主に使うそうです。そして、なんと「Aloha!」はお別れの挨拶に使われるそうです。「Aloha」には、「Love=愛」の意味があるので、親愛をこめて誰かとお別れをする時に「Aloha!」を使うそうです。
次に、「No can」(ノー・カン)です。「ノー・カン」と聞くと、「カンはダメ?」と思ってしまいませんか?これは「I can't do it.」=(できません)という意味だそうです。小学校などで、先生に「これをしなさい。」と言われた子ども達が、「No can」「No can」と反抗するそうです。
ハワイのピジョン英語は、ハワイに移民して来た人たちのいろいろな国の言葉がまざってできています。日本語から作られたと思われるものもあります。例えば、「Ne-ne」(ねーね)。意味が想像できますか?これは、日本語の「ねんね」と同じ意味で「寝る」ことを意味します。
*ハワイのクリスマス*
 ハワイのサンタは、いろいろな服装で現れます。ステイシーさんが、いろいろなサンタの写真や絵を持ってきてくださいました。まず、オアフ島のホノルル市役所のサンタの人形の写真です。サンタはあまりの暑さのため、上着の前をはだけ、ブーツは脱いでしまいました。その他に、サンタがアロハシャツを着ていたり、ビーチサンダルを履いていたりします。そして、トナカイではなく、赤鼻のイルカと一緒のサンタもいます。ワイキキのホテルの前では、なんとサンタがジェットスキーに乗って現れるそうです。
 クリスマスの雪景色の変わりに、ハワイでは、ライトで家や建物の飾り付けをします。バスまで綺麗なライトで飾られて、ホノルルの中心部は4区間の建物全部にイルミネーションの飾りつけがされるそうです。
 ハワイでは、クリスマスに食べる特別な料理はなく、それぞれの家庭で好きな料理を食べるそうです。ちなみに、ヤナガワ家でのクリスマスの定番は、魚料理とハムだそうです。
 ハワイ語で「メリークリスマス」は「Mele Kalikimaka」(メレ・カリキマカ)です。それは、キリスト教の宣教師達によってクリスマスがハワイに持ち込まれた時に、ハワイ語では母音が5個、子音が7個しかなかったために、「メリークリスマス」が、「メレ・カリキマカ」と変化してしまったからだそうです。
 ハワイの女の子達の憧れのクリスマスプレゼントは、ハワイアンジュエリー。小学低学年の小さな女の子まで、ほしがるそうです。最近は、イルカなどの動物がモチーフにされているものが人気だそうです。男の子にも、ハワイアンジュエリーは人気で、「つり針」の形のネックレスが流行っているそうです。おまけですが、ハワイの女の人のお金持ちの象徴は、たくさんのハワイアンジュエリーのブレスレットをしていることだそうです。

■第5回ハワイ・ミニセミナーを開催しました。
2004/09/16
 
9月11日(土)に第5回ハワイ・ミニセミナーを開催しました。もう今回で5回目。今回お話をしてくださったのは、東雲女子大学・国際文化学科教授の塩入K先生。先生は、この8月に1ヶ月ほど学会ご出席を兼ねて、ハワイに滞在されました。滞在中、セミナー用にとあちこちで写真を撮影し、また珍しいハワイのスナックを沢山買ってきてくださいました。当日は、コーヒーメーカー持参で、コーヒー通の間で名高いコナ・コーヒーやお土産のスナック、グゥアバジュースなどを皆さんに召し上がっていただきました。奥様の塩入愛子先生が、お菓子の説明をされると、会場は期待と喜びのワーッというどよめきが・・・。やはり、食べ物の力は大きい?!

☆ ハワイの位置づけ
まず、米国はMainland United States(本土) とPacific Rim (環太平洋地域)から成っています。そしてハワイは、the hub of the Pacific Rim と呼ばれ環太平洋の中心的存在。そして、その言葉はというと・・・。   
   Standard English (Mainland English) ⇔ local English (Hawaii)
               ↓
        Standard Hawaiian English
本土の英語とハワイの英語が綱引きをし合い、ミックスされて出来たものが、ハワイ標準英語になっているのだそうです。教養があっても無くても、ハワイアンが話すのはこの言葉。

☆ハワイ語が混在する独特の英語

日常生活の中で、ハワイ語がどんどん入ってきます。ハワイの標識や写真でご説明。
  ・アロ〜ハ(ハワイでの挨拶は、始めも終わりもアロ〜ハ。ロ〜と伸ばすのがハワイ流)
  ・レイ(そのまま、あの首にかけるレイ)
  ・パリ(崖)→ Nouanu Pali Cliff Cliff も英語で崖ですから、ヌアヌ崖崖?英語で「石手寺テンプル」というようなもの。
  ・エヴァ(西)→ Go Eva. (西の方へ行ってください。)
  ・ダイヤモンドヘッド(東)
  ・マカイ(南)
  ・マウカ(北) I’m heading Mauka. (北の方に行っている。)
  ・ラナイ(ベランダのこと) “We are going to have a lunch get-together at the Jefferson Hall lanai from 12:00 to 1:00 pm. Food and refreshments are served.”
大学院時代、よくランチパーティーがテラスでありましたが、こんな招待状が届いたそうです。最初、塩入先生も、lanai って何、何処???と首を傾げられたそうです。

さて、外からハワイに来た人は、最初は標識を見ても、何のことだかさっぱり解らない。米国本土から来た人であってもそう。Eastとか Westなんて書いてないわけですから。じゃあどうする? 「どうしようもないんですねえ」と先生。このコメント、受けました!生活するうちに自然に覚えてくるのだそうです。塩入先生も、誰かにちゃんと教わったわけではなく気がついたらいつの間にか覚えてたとか。生活の言葉ってそんなものかもしれませんね。
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